閑谷学校関係資料とは? わかりやすく解説

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閑谷学校関係資料

主名称: 閑谷学校関係資料
指定番号 118
枝番 0
指定年月日 2002.06.26(平成14.06.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 4041
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文: 閑谷学校は、岡山藩主池田光政いけだみつまさ】(一六〇九-八二)が、家臣津田永忠【つだながただ】(一六四〇一七〇七)に命じて創設した藩営の学校で、寛文十年一六七〇)に備前国和気郡木谷村びぜんのくにわけぐんきたにむら】の地に仮学校設けたのがその起源である。学校には、藩士の子弟だけでなく、百姓の子弟にも入学許したまた、学校経営のために近隣所領が「学田がくでん】」とされた。元禄年間には、校地を囲む石塀せきへい】や聖廟講堂はじめとする施設多く整備された。
 光政永忠没後、藩の方針により一時廃校危機見舞われたが、その後順調に発展し江戸時代後期には、郷学ごうがく】として全国的に名を知られた。維新後明治三年一八七〇)に閉鎖されたが、同六年に有志による私立学校として再興その後県立中学校高等学校となり、県立和気高等学校閑谷校舎として存続したが、昭和三十九年(一九六四)に閉校した
 旧校地は特別史跡建物講堂国宝、その他校内の主要建物重要文化財指定されている。旧校地の一部社会教育施設青少年教育センター閑谷学校設立され、その名をとどめている。
 本資料は、江戸時代閑谷学校用いられ典籍類を中心として、一部関連資料交えた四〇四一からなる典籍類は、学校文庫重文)に保管されてきたもので、一九三種四〇三四冊が伝来している。大半漢籍で、一部和書交える。明版の『十三経註疏じゅうさんきょうちゅうそ】』は、開校に際して光政手沢本の中から下賜したもの伝えられる。和刻の儒書中には多く一七世紀後半刊記をもつものが含まれ草創期学校整備併せて購入されたものと思われる。『小学しょうがく】』『蒙求もうぎゅう】』といった初学者向けの典籍複数部が伝来し学校蔵書としての特徴示している。また、光政教学影響与えた儒者中村惕斎てきさい】(之欽【しきん】)の著書木活字本は類品の少ないものである
 また、絵画および器物が七点含まれている。文化十年一八一三)の学校景観描いた閑谷学図【がくず】」と、隣接地設けられ茶室黄葉亭【こうようてい】を描き頼山陽らいさんよう】の撰した「黄葉亭記」を添えた黄葉亭図」は、江戸時代後期閑谷学校実態伝える。「習字扁額しゅうじしょへんがく】」は、生徒学習場の建物掲げられいたものである。
 本資料は、江戸時代郷学代表する閑谷学校でその教育用いられ大きな散逸なく伝存してきたものであり、校地・校舎とともに保存されてきたことと相まってわが国教育史上意義が深い。



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