間宮林蔵北蝦夷等見分関係記録とは? わかりやすく解説

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間宮林蔵北蝦夷等見分関係記録

主名称: 間宮林蔵北蝦夷等見分関係記録
指定番号 59
枝番 0
指定年月日 1991.06.21(平成3.06.21)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 14帖、7鋪
時代区分 江戸
年代 文化7・8年
検索年代 1810・1811
解説文: 江戸幕府文化四年(一八〇七)蝦夷地全体直轄決定しカラフト文化六年北蝦夷改称)の地理明確にするため、調査計画した松前奉行所の下役元締松田伝十郎と同御雇同心格間宮林がその任に当たることとなり、翌文化五年四月カラフト南端のシラヌシから調査開始した。この当時カラフト南半の一部日本の影響下にあり、住民アイヌとの交易が行われていたが、それより以北清朝影響にあってウィルタオロッコ)、ニヴヒスメレンクルギリヤーク)等の住民は、黒竜江下流満州仮府に貢納していた。世界地理上においてこの付近はいまだ不明の地として残されており、ロシアはじめとするヨーロッパ探検家が度々訪れたが、カラフトが島なのか半島なのかさえ明確ではなかった。
 松田伝十郎間宮林蔵は、全島調査することはできなかったものの、同年六月西岸北部ラッカ達しカラフトが島であることを確認して帰着した引き続きカラフト東北部の未調査探査のため再び林蔵派遣され、島の北端近くから対岸東韃地方渡り黒竜江遡って七月満州仮府所在地デレンに至った
 帰着する林蔵直ち報告書作成着手し同僚村上貞助の協力得て文化八年三月までに『北蝦夷島地図【きたえぞとうちず】』『北夷分界余話【ほくいぶんかいよわ】』『東韃地方紀行【とうだつちほうきこう】』の三部作完成幕府提出した。『北蝦夷島地図』と『凡例』は林蔵の稿により貞助が浄書し、『北夷分界余話』と『東韃地方紀行』は林蔵口述し、貞助が筆録編集したのである
 『北蝦夷島地図』七鋪はカラフト対岸東韃地方地図で、七鋪を接続して一図となる。縮尺三六〇〇〇分の一である。本図伊能忠敬流の測量術倣い作成したもので、実測に基づく最初カラフト地図である。里程一部舟行によるが、ほとんどは測器用いるなど科学的な方法とっている。『凡例』一帖は、地図凡例と「北蝦夷西海岸里程記」「東韃地方舟行里程記」を載せる
 『北夷分界余話』十帖はカラフト地誌民俗誌で、絵図九六図を用いカラフトアイヌの風俗・文化について本蝦夷アイヌ比較しながら詳述するなかでも夏・冬の家の別、をよく使うこと、野鍛冶、ウフイ(アイヌ語で「焼く」の意)という葬法一種ミイラ化)等は林蔵によって初めその実態が紹介された。またウィルタニヴヒ等の少数民族風俗・文化初め詳細に記述した
 『東韃地方紀行』三帖は二度目林蔵カラフト調査途次立ち寄った黒竜江下流地方見分記した紀行地誌民俗誌で、絵図二一図を伴う。当地方の地理詳細に記し、また少数民族(コリド、ウルチオロチ等)について日本最初に筆を及ぼしている。
 以上の林蔵見分記録地誌民族誌として今なお大きな学問的価値有している。
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