野村 誠
1968年名古屋生まれ。8歳より独学で作曲を始める。90年に即興演奏をベースに共同作曲するバンドpou-fouを結成、Sony Music EntertainmentのNEW ARTISTS AUDITIONグランプリを受賞し、92年CD「Bird Chase」をリリース。JCC ART AWARDS現代音楽部門最優秀賞(1996)、第1回アサヒビール芸術賞(2003)受賞。06年NHK教育テレビの音楽番組「あいのて」を監修し、自身も「赤のあいのてさん」としてレギュラー出演。著書に「音楽ってどうやるの」「即興演奏ってどうやるの」(あおぞら音楽社)、「老人ホームに音楽がひびく」(晶文社)、「音・リズム・からだ」(民衆社)、「音楽づくりのヒント」(音楽之友社)等。京都大学理学部数学科卒。
野村誠
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野村 誠(のむら まこと、1968年10月4日 - )は、日本の作曲家、鍵盤ハーモニカ奏者、ピアニスト。音楽活動のみならず、美術や演劇などの幅広い分野で活動。しょうぎ作曲という、独自の共同作曲法を開発。自身のワークショップ等で多用する。鍵盤ハーモニカ・オーケストラ「P-ブロッ」のリーダー。NPO法人芸術家と子どもたち理事。コラボシアター・フェスティバルディレクター。
経歴
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1968年 名古屋生まれ。京都大学理学部数学科卒業。ピアノを遠藤誠津子に師事。作曲は独学。京都大学入学後は即興演奏に明け暮れ、ピアニストの大井浩明とも親しく交わる。友人と結成したバンド「pou-fou」がSMEJのオーディションでグランプリを受賞、CDデビュー。NHKの音楽番組「私達新音楽人です」にも出演。
1994年 ブリティッシュ・カウンシルの助成金を得て、渡英。ヨーク大学を拠点にイギリス各地で音楽活動。1995年に帰国後、鍵盤ハーモニカを用いた路上演奏を始める。
1996年 JCC ART AWARDSの現代音楽部門最優秀賞を受賞。
1997年 国立武蔵野学院で音楽を指導。1998年 富山大学非常勤講師(現代文化)。
1999年 さくら苑にてお年寄りとの共同作曲をはじめる。長期プロジェクトになり、朝日新聞の「天声人語」にも掲載。
2002年 東京藝術大学音楽環境創造科非常勤講師。2003年 第1回アサヒビール芸術賞受賞。
2005年 横浜トリエンナーレに出品。2006年 NHK教育テレビ「あいのて」音楽・音響監修。
2012年から開催された釜ヶ崎芸術大学で講師を務める[1]。
代表作
ピアノ曲
- たぬきときつね
- ONIの衰退(全5楽章)
- たまごをもって家出する
- DVがなくなる日のためのインテルメッツォ(クラリネット版も)
- 2台ピアノのための「ナマムギ・ナマゴメ」
- 2台ピアノのための「パニック青二才」
鍵盤ハーモニカ
- 八重奏「神戸のホケット」
- 五重奏「あたまがトンビ」
- 鍵ハモ・ミュージカル「でみこの一生」(P-ブロッによる共同制作)
アコーディオン
- 誰といますか?
- アコーディオンとピアノのための「ウマとの音楽」
- 「ブログ音楽」(鶴見幸代と共同作曲、20曲から成るアコーディオンの小品集)
- アコーディオンとピアノの「動物の演劇」(山下残演出の舞台のための音楽)
オルガン
- 電子オルガンのための「FとIはささいなことでけんかした」
- 組曲「オルガンスープ」
室内楽・合奏
- クラリネット、箏、パーカッション、マリンバ、コントラバスのための「自閉症者の即興音楽」
- マリンバとピアノのための「くつがえさー音頭」
- マリンバとピアノのための「てぬき」
- 「宇宙ですてぃにー ワニバレエ」(京都・平盛小学校で4年生とアーティストによる)
- でしでしでし
管弦楽
- ピアノ協奏曲「だるまさん作曲中」
- 弦楽四重奏「アートサーカス」
- 弦楽四重奏「ズーラシア」
- しょうぎ交響曲第1番「ちんどん人生」、第2番「どこ行くの」、第3番「開館」
ガムラン
- 踊れ!ベートーヴェン
- せみ
- ペペロペロ
- さるう(ワークショップ参加者と)
- だいんだいん(ワークショップ参加者と)
- 青ダルマどん(ワークショップ参加者と)
- ガムラン楽舞劇「桃太郎」
- タリック・タンバン(サントリーホールサマーフェスティバル2023)
箏・和楽器
- 箏曲「押亀のエテュード」
- 箏曲「りす」
- 箏アンサンブル「せみbongo」
- 三味線と箏と笙と打楽器による 「つん、こいつめ」
総合音楽劇
- ホエールトーン・オペラ(日英のアーティストと宮城・大河原町周辺の住民による)
- 演劇交響曲第一番「十年音泉」 (野村は総合監修)
野村幸弘との映像作品
- 「学校の音楽」
- 「体育館の音楽」
- 「屋上の音楽」
- 「城址公園の音楽」
- 「武家屋敷の音楽」
- 「モダンアートの音楽」
- 「ズーラシアの音楽」
- 「取手の音楽」
など
その他のプロジェクト
- 小学生とのワークショップ「火の音楽会」(神戸市立自然の家)
- インプロピクニック
- 仕掛けあいプロジェクト「あーだ・こーだ・けーだ(ACD)」(取手アートプロジェクト2006)
個展
- 音楽ノ未来・野村誠の世界(計4回、2003~2006、滋賀県・碧水ホール)
エピソード
小学生時代、学校の作文で尊敬する人にバルトークをあげ、怪しまれる。
天文少年で、当時は毎日望遠鏡で空の星を観察していた。
高校時代、作曲家の戸島美喜夫を訪ね、音大受験のためのレッスンを受けようと思う。しかし、戸島に「先生に言われた通りに曲を直すようでは、一流にはなれない」と言われ、音大を受験しないことを決意した。
お年寄りとの共同作曲が注目され新聞、雑誌、テレビなど様々なメディアで話題になり、最初は嬉しいと思ったが、活動が誤解されてしまいそうな記事、勉強不足で取材に来る記者などにうんざりしたという。そんな中で、NHKアナウンサー野方正俊は「野村さんとは、台本を見ずに自由に話をしたい」と生放送にも関わらず、台本を全く見ずにインタビューをし、野村を喜ばせた。
CD
- しょうぎ交響曲の誕生~しょうぎ作曲の現在とオーケストラの新潮流(山口情報芸術センター)
- せみ(Steinhand)
- P-ブロッ(P-ブロッ自主制作)鍵盤ハーモニカアンサンブル「P-ブロッ」の作品集。
- INTERMEZZO(エアープレーンレーベル) カウンセラー草柳和之からの委嘱による。
著書
- 路上日記(ペヨトル工房)
- 老人ホームに音楽がひびく~作曲家になったお年寄り(晶文社) 大沢久子との共著。
- 音・リズム・からだ(民衆社) 林加奈+鈴木潤との共著(服部敬子解説)。
- 即興演奏ってどうやるの(あおぞら音楽社) CD付、片岡祐介との共著。
ほか、雑誌等への寄稿多数。
脚注
出典
外部リンク
- 野村誠のページ(公式サイト) - ウェイバックマシン(2004年9月24日アーカイブ分)
- 野村誠の作曲日記(ブログ)
- 野村誠がリーダーの鍵盤ハーモニカ合奏団「P-ブロッ」 - ウェイバックマシン(2007年1月4日アーカイブ分)
- ※野村の楽譜取り扱い マザーアース株式会社
「野村 誠」の例文・使い方・用例・文例
- 野村證券は日本で最大の総合証券である。
- 野村さんを歓迎するのを手伝ってください。
- 多分この情報は秘書の野村辺りから流れたのだろう.
- 野村博士は 45 歳, 学者としては脂の乗り切った年齢である.
- 野村さんは, 彼自身の語るところによれば, 英語を話すのはいつも苦手であったという.
- 火消し役に野村が登板した.
- いつも興味深い講演をするので, 野村教授は多くの大学から引っ張りだこである.
- 野村さんのほかはだれにも留守だと言うんだよ.
- 野村氏,新天地を求める
- 阪神タイガースの前監督,野村克也氏がアマチュア野球チーム,シダックスのゼネラルマネジャー兼チーム監督になった。
- 野村監督は,「人々は私を『再生工場』と呼ぶ。私は未熟な選手を育てることに向いていると思う。目標は都市対抗での優勝を勝ち取ること。」と話す。
- 野村監督の背番号は19である。
- 野村監督は,「プロ野球での私の役割は終わったと思っていた。だが,この新しい地位につくことでプロアマの垣根を取り除くことができればいいと思っている。」と話す。
- 「天才」野村が復帰
- 野村忠(ただ)宏(ひろ)選手が,9月11日から大阪で開かれている世界柔道選手権大会に参加している。
- 野村選手は1996年のアトランタオリンピックと2000年のシドニーオリンピックの両方の男子60キロ級での金メダリストである。
- 6月と7月に,野村選手はヨーロッパでトレーニングした。
- 野村選手のヘッドコーチである斉藤仁(ひとし)さんは,「彼はほとんど最良の状態だ。あとは慢(まん)心(しん)しないようにだけ気をつけなければならない。」と話した。
- 野村選手は,「復帰してからは,ほんの短い期間のように思われる。でも始めは本当にしんどかった。」と振り返る。
- 3個目のオリンピックの金メダルへの野村選手の追求が始まった。
固有名詞の分類
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