共同作曲とは? わかりやすく解説

共同作曲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 16:02 UTC 版)

ジャチント・シェルシ」の記事における「共同作曲」の解説

シェルシ死後イタリア作曲家ヴィエーリ・トサッティ(Vieri Tosatti)は、音楽雑誌掲載された「ジャチント・シェルシ、それは私だ」というインタビュー記事において、少なくとも1940年代以降の、シェルシ名義発表され作品には、トサッティをはじめとする複数作曲家関与している、ということ明らかにした。トサッティがシェルシの「共同作曲者」となったのは1947年からで、それ以前一人同様の役割担っていた人物がいた。 なお、長木誠司は、シェルシ作風の変化について、トサッティの証言合致する部分が多いとし、特に、1950年代ピアノ曲立て続け書いた後、『四つ小品』を境目に、ピアノ曲がほとんど書かれなくなったことは、その典型であるとしている。 トサッティの証言によると、共同作曲の形態は、次のような4段階で変化していったという。 最初の段階は、十二音技法用いた作品において、シェルシ十二音音列素材として与え、トサッティがそれに基づいて作曲をするという形態であったこの方法でまず完成され作品は『弦楽四重奏曲第1番』であり、その後前任の「共同作曲者」の仕事引き継いでトサッティが『ことばの誕生』を完成させた。第二段階は、シェルシによるピアノ即興演奏採譜するというものであり、ほとんどのピアノ曲は、シェルシと、トサッティの紹介により採譜担当したセルジョ・カファーロの共同作業により書かれたという。第三段階は、単音しか出せない代わりに足車回転させることで微分音を出すことが出来電気鍵盤楽器「オンディオリーナ」を、シェルシが2台購入した頃から始まりシェルシ一つ鍵盤押して即興的に音を変化させながら録音した音を元にトサッティが作曲をする、という作業形態を取るようになったこの手法による最初作品オーケストラのための『四つ小品』は、いわゆる「ひとつの音」(一つの音を聴き込む、という手法)による最初作品である。 1966年に、トサッティとシェルシの関係は解消し、「共同作曲者」の後任に、トサッティは自らの弟子であるリッカルド・フィリッピニを選んだその後、トサッティの元に再びシェルシから共同作業打診があった際に、シェルシからは単純な図形素描送り届けられ、トサッティはそれを元に音符書いたという。しかし、この「第四段階」の作業形態をとった作品多くない

※この「共同作曲」の解説は、「ジャチント・シェルシ」の解説の一部です。
「共同作曲」を含む「ジャチント・シェルシ」の記事については、「ジャチント・シェルシ」の概要を参照ください。

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