造語の誕生と背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 07:52 UTC 版)
この俗語について、1978年版『現代用語の基礎知識』では暴走族を発信源とした言葉とした上で、不良同士が互いのツッパリ具合を品定めする際に用いられたしている。なお、1978年版『現代用語』ではツッパルについては本来、「自分を実力以上にアピールさせようとする」といった意味を持ち、それが高じて「自分を『(周囲から)見られている』状態に置いて、一つのモノのように意識する」といった意味を持ったとしている。1978年版の『現代用語』、コラムニストの泉麻人の著書には次のように記されている。 全身グラフィティー・ファッションでキメているのに靴だけがアイビーだったりする場合、「見てみろヨ、アイッツーダサイナァー(原文ママ)」というふうになる。 — 『現代用語の基礎知識 1978』 彼らはやたらと道端でツバを吐き、その当時(七○年代初頭)から、ダサイ、マブイ、ハクイ、といった隠語を遣っていた。 — 泉麻人『僕がはじめてグループデートをした日』 ただし「ツッパル」という俗語自体は流行のみを賛美するものではなく、時流に逆らい流行遅れのファッションを貫くことも「ツッパリ」の一種、あるいは自己パロディ化の一環と見なされた。 一方、東京家政学院大学教授の内田宗一は、『平凡パンチ』1975年4月28日号や『週刊平凡』1976年3月11日号において女子高生の生態を紹介した記事の中でこの俗語が取り上げられたことを理由に女子高生を発信源とした俗語としている。その上で、彼女らの間で使われた内輪用語が周囲に浸透し、1970年代後半には若者語として定着したものと推測している。 昨今の三大流行語である"ダサイ" "シブイ" "ツッパル"は文字通りツッパル者以外のマジメ系女子高生内部にも深く浸透し、こんなコがと思う女高生でも、電車内で、「あのコ、ダサイわネ」とやっている。 — 『平凡パンチ』1975年4月28日号 ただし、『平凡パンチ』ではこの俗語を「『ダサい』はご存じ"イモ・田舎者"の意」と地方出身者を揶揄する言葉として紹介し、『週刊平凡』では「カッコ悪い、最悪の意味」と紹介している。なお、中高年齢層の間での浸透はかなり遅れ、『朝日新聞』のコラム「天声人語」での紹介は1983年12月2日のこととなった。 日本語学者の米川明彦によれば、この時代は従来の勤勉さ、まじめさを尊ぶ価値観が廃れ、それと入れ替わるかのように利己主義的、享楽的な価値観を尊ぶ社会へと変化し始めていた。男性が学生運動の頓挫により無関心さを装った(しらけ世代)のに対し、1970年代から女性の動きが活発化し、1980年代以降は消費行動のターゲットと見なされマスメディアから盛んに持ち上げられた。こうした動きと呼応するかのように若者語も変化が生じ、従来の男性主導の「硬い言葉」「荒々しい言葉」「政治的ニュアンスの強い言葉」から、女性主導で生み出された「その場のノリのみを重視」する言葉へと変化し、多くの俗語が生み出されては短期間で廃れていった。米川によれば、女性主導の言葉は男性に批判の目を向けたものも多かったといい、その象徴として「ダサい」を挙げている。 こうした言葉が関東地方で広まった背景には、人々が持つ「見栄っ張り」の要素がある。他者からいかに「おもろいヤツ」と見なされるかが最上の美徳となる関西人に対して、関東人は他者から「かっこいい」「○○さんさすがです」などと賞賛されることを最上の美徳としている。周囲と同調する傾向の強い関東地方の人々は、東京から配信される「都会的」「洗練された」とされる情報に追随し、そうした価値観を反映した人物像を演じることで、都会から配信される文化を自分たちが支えているのだと認識していた。一方で関東人は「かっこいい」とは対極にある「ダサい」と評されることを極度に恐れるあまり、東京を通勤圏とする地方出身者を嘲笑の対象と見なし、彼らを揶揄することで自らの存在意義を確認していた。そうした中、1980年代にタレントのタモリが埼玉県民を嘲笑する意味で「ダサい」と「埼玉」を掛け合わせた「ダ埼玉」という俗語を流行らせた。
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