造語の誕生と波及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:13 UTC 版)
タモリは名古屋五輪批判に加え、かねてから「(名古屋は)東京と大阪に挟まれ独特のコンプレックスがある」「名古屋弁は響きが汚い」「みゃーみゃー猫語の名古屋弁」「名古屋駅へ降りると、猫の鳴き声が聞こえてくる」「行こみゃあ、やろみゃあ、みんなミャアミャア言っていてまるで街中が発情しているようだ」などと評し嘲笑の対象としていた。その彼がエビフライに関心を持ったきっかけについてはタモリの友人で愛知県瀬戸市出身の写真家・浅井慎平の影響が大きく、浅井との会話や名古屋出身でエビ好きの芸能関係者との交流を通じて漠然としたイメージを膨らませていった。なお、浅井の証言によればエビフライが少し上等な食べ物とされていた時代には、名古屋人にとってエビフライは「もてなしの象徴」だったという。 1981年(昭和56年)4月4日から日本テレビ系列でバラエティー番組『今夜は最高!』が放送開始された際、第1回ゲストとして浅井と名古屋市出身の女優・竹下景子を招くと「エビフライと私」をテーマに、タモリと竹下がウェイターと客に扮し名古屋弁を交えたコントを演じたことが記録として残されている。また、同年8月下旬までの日程で「ラジカル・ヒステリー・ツアー」と題した全国ツアーを行った際、愛知県勤労会館での初公演において次のように発言したことも記録として残されている。 新幹線の中でエビフライを食べているのは大抵、名古屋人。名古屋人はエビフライを最もナウで美味いものと思っている。横井庄一さんも洞穴に隠れながら、命がけでエビを採りに行って捕まったのではないか。 — タモリ その後、1982年(昭和57年)10月4日からフジテレビ系列で放送開始された『森田一義アワー 笑っていいとも!』や自身の出演番組内で「名古屋ではエビフライのことを『エビフリャー』と言う」と名古屋や愛知県の話題が取り上げられるたびに発言した結果、エビフリャーという言葉は全国的に定着した。なお、タモリによる「エビフリャー」を絡めた発言については次のような記録が残されている。 車のキーをじゃらじゃらさせながら店に入って「エビフリャー」を注文し、外に出たとたんに「高っきゃーなー」と文句を言う。 — タモリ 「エビフリャー」の造語はメディアの影響により名古屋に関する嘲笑ネタとして広がりを見せたが、1980年代当時の名古屋はエビフライを名物としておらず、地方からの来訪者がエビフライ専門店を見つけ実物を食することは困難を極めた。 一方、タモリは『笑っていいとも!』への出演と前後して、お茶の間向けの「毒のない」芸風にイメージチェンジを図ろうとしていた。そのため作家の小林信彦から「大衆に愛されようとし、急に『あく』を失なった」、コラムニストの亀和田武から「毒的とも知的とも言われたギャグのボルテージが急落した」、イラストレーターの山藤章二から「昔はもっと知的でヒネクレていた。世間の大多数(マジョリティ)を敵にしていた。そこが良かったのだ」として批判を受け続けた。
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