車体構造・内装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 09:07 UTC 版)
「東京地下鉄道1000形電車」の記事における「車体構造・内装」の解説
現在では、地下鉄に限らず鉄道において重大な危険となる火災事故対策として厳しい難燃基準が制定されているが、1000形はそれ以前に日本国内での実例がなかった地下鉄車両だけに、特にこの部分に留意して当時としては最も進んだ不燃対策が施されている。この当時の鉄道車両はまだ台枠のみ鋼鉄製で他はすべて木造とした木造車体が一般的であり、外板と骨組みを鋼鉄製とした半鋼製車体に移行しつつある時期であった。しかし本形式は半鋼製をも通り越し、屋根板や内張りまで鋼鉄製とした全鋼製車体が採用された。リベットを縦横に打ち込んだ物々しい外観が目を引くが、これは溶接技術が未発達だった時代ゆえのことである。 もっとも、その代償として自重は大きく増大しており、車体長15,500mm、車体幅2,558mmの比較的小柄な車体で、しかも主電動機が2基搭載であったにもかかわらず、34.8tと主電動機を4基搭載する17m級半鋼製電動車並みの自重となっていた。 車体外部塗装は黄色基調に屋根周りえんじ色のツートンであり、特に開業当時の色は後の銀座線車両のオレンジ色とは異なる、明るい黄色であった。この塗装は当時のベルリンのUバーンのそれに範をとったと伝えられており、暗い地下線内で明るく感じさせるために採用されたものであった。 内装は鋼板に木目焼き付け印刷を施し、木造車に慣れた当時の乗客に違和感を覚えさせない配慮がなされている。全鋼製車体・内装木目印刷の先例としては、1926年に登場した阪神急行電鉄(現: 阪急電鉄)の600形があるが、東京地区では最初の試みであった。また、床材に不燃材料としてリノリウムを採用したのも画期的であった。 常に闇にある地下においては照明も重要である。1000形では日本の鉄道車両としてほとんど最初の間接照明を採用し、車内灯の光が直接乗客の目に当たらないようにする配慮がなされていた。 客用扉には当時では珍しかった自動扉が採用された。乗務員扉が半室運転台側にしか無く、反対側は座席となっていたことからスイッチは客室内にあり、車掌が「此の戸」(スイッチ直近の位置にある扉)を開いて安全確認後、「他の戸」(それ以外のすべての扉)と表記されたスイッチを操作して扉を開閉していた。 妻面には安全畳垣と呼ばれる連結運転時の車両間転落を防ぐための折り畳み構造を備えた伸縮自在の柵を備え付けていた。 つり革には「リコ式」と呼ばれる方式のものが用いられた。これは通常はバネの力で外側に跳ね上がって固定され、乗客がつかまる際に手前(自分)の方へ引っ張る構造で、重い鋳造部品を組み立てたものであった(持ち手部分はホーロー加工)。その後も樹脂製の軽量化されたものが長らく営団地下鉄電車の特徴として東西線の5000系登場時まで採用され続けたが、手を放すとバネの力で戻る際に他の乗客の頭に当たり負傷・眼鏡破損等のトラブルになることがあったため、同系の1967年製以降からは通常タイプに変更された。
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