議会によるレコンストラクション
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「タデウス・スティーブンス」の記事における「議会によるレコンストラクション」の解説
この時までに、スティーブンスは70代となり、健康も衰えていた。どこに行くにも特別な椅子で運ばれていた。1865年12月初旬に議会が招集されると、スティーブンスは下院事務官と図って、議員名簿が読み上げられるときに、南部で選ばれた議員の名前を外すようにした。上院でも南部選出議員が除外された。オハイオ州選出新議員ラザフォード・ヘイズはスティーブンスについて、「彼は常に急進的だったが、絞首刑を信用してはいないと告げたときは例外だった。彼は指導者である。」と表現していた。 下院歳入委員会委員長の職責が分割されていたので、スティーブンスは下院歳出委員会の委員長に就任し、下院の議案について統制権を継続した。スティーブンスは批准されたばかりの修正第13条で約束された自由を確保することになる法案に集中した。メイン州選出上院議員ウィリアム・ピット・フェッセンデンと共に、両院合同再建委員会を提案し、協同主宰した。この委員会は15人委員会とも呼ばれ、南部の状態を調査した。アフリカ系アメリカ人だけでなく、北軍に対する忠誠者、南部人が「カーペットバッガー」と呼ぶ終戦後に南部に移動した北部人に対する暴力行為を耳にした。スティーブンスは「南部における我々の忠実な同朋が黒人であれ白人であれ」、「日々彼らを殺している野蛮人から」早急に守ることを求めると宣言した。 15人委員会はアメリカ合衆国憲法修正第15条となるものの検討を開始した。スティーブンスは、委員会がまだ結成されてもいなかった1865年12月にその草案を書き始めていた。1866年1月、スティーブンスとジョン・ビンガムを含む小委員会が2つの修正条項を提案した。1つは議会に、平等な権利、特権、全市民の保護を確保するために無制限の権限を与えることだった。もう1つは全ての人種差別法を明確に停止させることだった。スティーブンスは、アメリカ独立宣言と構成法が既にこれら原則を連邦政府に与えているが、州レベルで差別に対抗する法の執行を認めるために、この修正条項が必要だと考えた。後に修正第14条となる決議案が議会に提案された。その最終討論のときに、スティーブンスはこれらの変更が全てのアメリカ人の平等という彼の終生の夢を挫いてきたと語った。それでも天使の中にではなく人々の中で生きているので、妥協の修正条項の成立を支持すると述べた。さらに下院では、「即座に投票権を与えることよりも、(アフリカ系アメリカ人に)40エーカーの土地と小屋がもっと貴重なものになる」と語った。 イリノイ州選出上院議員ライマン・トランブルが解放奴隷局を再度承認し拡張する法案を提出したとき、スティーブンスはその法案が、土地改革に対する十分な条項を含まず、南部の軍事占領で逃亡奴隷に与えられた資産を保護していなかったので、法案のことを「強盗」だと言った。ジョンソンはこの法案に拒否権を使い、解放奴隷局は違憲であると言い、その費用支出を非難した。連邦議会が土地を購入したことは無く、学校を建てたこともなく、「我々の民」のために財政的援助をしたことも無いと言った。2月に議会は拒否権を差し戻すことができなかったが、5か月後に同様な法案を成立させた。スティーブンスは1866年南部ホームステッド法の成立を批判し、利用可能となる低品質の土地では黒人家族にとって真の経済成長は期待できないと論じた。 トランブルが別に提案した1866年公民権法についてはジョンソンが拒否権を使ったものの、議会がこれを指し戻すことができた。アフリカ系アメリカ人に市民権と法の前の平等を認め、州による反対行動を禁じるものだった。ジョンソンがスティーブンス、サムナー、ウェンデル・フィリップスが政府を壊そうとしていると非難したときに、ジョンソンと議会の間の隙間を広くすることになった。 議会が7月に休会になった後、秋の選挙のための運動が始まった。ジョンソンは鉄道での旅を始めたので「スイング・アラウンド・ザ・サークル」と呼ばれた。この旅ではあまり支持者を掴めなかった。ジョンソンと妨害者の間の議論は威厳の無いものと考えられた。この旅の間にスティーブンスなど急使派の者達を攻撃した。スティーブンスは南部に対する厳格な手段について運動を行い、メンフィスやニューオーリンズで、警官を含む暴徒がアフリカ系アメリカ人や白人の連邦支持者を攻撃する事件があったことで、その影響力が強められた。スティーブンスは選挙民の支持を得て議会に戻って来た。共和党は次の会期で両院の3分の2を超える多数党となっていた。
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