裏社会活動とは? わかりやすく解説

裏社会活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 02:06 UTC 版)

児玉誉士夫」の記事における「裏社会活動」の解説

60年代初期には15万人上の会員がいた日本最大右翼団体全日本愛国者団体会議全愛会議)を支え指導者一人であった1961年、この全愛会議内に児玉忠実な活動グループ青年思想研究会(青思研)が誕生した60年代終わりには青思研を全愛会議から脱退させた。裏社会人物の中では特に稲川聖城親しく稲川児玉兄貴分として慕っていた。60年安保闘争の際には児玉呼びかけ稲川配下組員デモ隊潰し利用する計画もあったとされている。(詳細岸信介の項目も参照。) 1967年7月笹川良一肝煎りで、「第一回アジア反共連盟結成準備会」が開催された。この時、市倉三郎統一教会の劉孝之らが集まったが、児玉自分代理として白井為雄を参加させた。 1969年、青思研より独立した右翼団体日本青年社結成。これが任侠右翼始まりであった児玉1965年日韓国交回復にも積極的な役割果たした国交回復実現し、5億ドル対日賠償資金供与されると、韓国には日本企業進出し利権渦巻いていた。児玉誉士夫この頃からしばしば訪韓して政権要人会い日本企業ヤクザフィクサーとして利益得た児玉だけではない。元満州国軍将校、のちに韓国大統領となる朴正煕とは満州人脈が形成され岸信介椎名悦三郎らの政治家や元大本営参謀商社役員瀬島龍三日韓協力委員会まで作って韓国利権走った日本国内では企業間の紛争にしばしば介入した1972年河本敏夫率い三光汽船ジャパンライン乗っ取り計画して同社買占め進めた困惑したジャパンライン土屋研一児玉事件の解決依頼した。しかし、児玉圧力かけても河本はなかなかいうことを聞かなかった。そこで、児玉はそごう会長水島廣雄調停依頼水島協力により、河本買い占めた売却同意する児玉水島謝礼として1億円相当のダイヤモンド贈った。こうして児玉支配下収まったジャパンラインは、昭和石油の子会社だった日本精蠟1974年夏に買収した児玉圧力をかける時は今澄のときのように傘下メディア駆使した利用され大手メディア博報堂がある。その中に児玉次の二つの目的持ったセクション作った一つは、博報堂取引先児玉系列組み込むもう一つは、その系列化された企業持ち込まれるクレーム利用してマスコミ操作し、なびかないメディアには広告依頼回さない。このセクション広告会社として品位欠けた。そこで、当時博報堂持ち株会社であった伸和の商号を、1975年博報堂コンサルタント変えてまた、定款にも「企業経営ならびに人事に関するコンサルタント業務」の項目を加えて、この元親会社業務請け負わせた。役員は、広田一郎社長の他に、町田欣一、山本弁介、太刀川恒夫重役として名を連ねた広田は、福井純一博報堂社長大学時代ラグビー関係者で、警視庁関西暴力団準構成員としてマークしていた人物町田は、元警察庁刑事部主幹山本は元NHK政治部記者太刀川塚本素山ビル等々力産業社長児玉側近第一人者であった

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