茂木一族
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文政年間(19世紀前半)に系譜焼失のため、詳細不明ながら、寛永年間(17世紀半ば)に野田に来た女性の連れ子が初代七左衛門を名乗り茂木家の始祖となったと伝わる。 茂木七左衛門本家(祖家) 1662年に茂木七左衛門が味噌醸造を始める。1764年に醤油醸造を始める。茂木佐平治が1688年に分家。茂木七郎右衛門が1768年にが分家。 茂木勇右衛門が1822年に分家。 茂木七左衛門 醤油醸造家(キッコーマン)。邸宅群は登録有形文化財(建造物)(非公開) 11代茂木七左衛門 (茂木英吉) 母のいま(今子)は2代茂木房五郎の娘で初代茂木啓三郎の姉。 茂木佐平治家 1688年に茂木七左衛門家から分家。当初は穀物商だったが、3代佐平治(1729-1807)が1782年に醤油醸造を始める。茂木利平が1863年に分家。 茂木佐平治 醤油醸造家(キッコーマン)。3代目が醤油醸造を始め、のちに亀甲萬(キッコーマン)を本印として成功し、領主・松平勘太郎の奥向賄金の用立を引き受けるまでの資産を築いた。野田の有力醤油醸造家となり、4代目は1838年に幕府御用醤油造を命じられ、4代目、5代目と地代官も務めた。6代目は1877年に茂木学校建設。1917年に茂木・高梨一族8家の合同により野田醤油株式会社が結成され、統一の商標として佐平治家の商標亀甲萬が採用された。旧邸宅は国の登録有形文化財(現・野田市民会館)。 七代茂木佐平治(茂木亀雄) 広告により亀甲萬の名を全国に知らしめたが家運を傾けた 八代茂木佐平治(茂木延太郎)ロンドンに留学したが、先代より先に亡くなった 九代茂木佐平治(茂木文吉)5歳で家督を継ぐ 茂木利平家 1863年に茂木佐平治家から分家し、味噌醸造を始め、1872年より醤油を専業とする。 茂木七郎右衛門・柏家 1764年に4代茂木七左衛門の孫娘(里賀)に22代高梨兵左衛門の嫡男を養子に迎えて醤油醸造を始め、1768年に茂木七左衛門家から分家。茂木房五郎が1821年に分家して醤油醸造を始める。茂木七郎治が1858年に分家。 中野長兵衛が1873年に分家。三代茂木七郎右衛門 1821年、上町より出火し百十戸を焼いた火災に巻き込まれ焼死 四代茂木七郎右衛門(茂木兵三郎) 3代の長男。父の急死により14歳で家督を継ぐ 五代茂木七郎右衛門(茂木柏衞) 4代の娘婿。1887年に私設化学試験所を設置 六代茂木七郎右衛門(野田醤油初代社長)5代の長男 茂木順三郎 6代の長男 茂木房五郎・木白家 1821年に茂木七郎右衛門家より分家して醤油醸造を始める。 茂木啓三郎が1877年に分家。茂木房五郎家より茂木和三郎が1906年に分家。 初代茂木房五郎(茂木広右衛門) 二代目茂木七郎右衛門の嫡男。分家した年に本家当主・茂木七郎右衛門3代が焼死したため、自業を廃し本家の後見となる。天保の大飢饉の際には茂木一族に声をかけて窮民救済に私財を投じて尽力し、郷土の偉人として愛宕神社に木白祭神として祀られ、祠の脇に「木白神霊碑」が建立された。 二代茂木房五郎(茂木広治) 1855年に飯田市郎兵衛家の工場を借り受け醤油仕込を始め、1872年に自家醸造に復す 三代茂木房五郎(長幸三郎) 2代の娘婿。1884年に借り受け中の飯田市郎兵衛家の工場を買い取り 四代茂木房五郎(茂木熊蔵) 茂木七郎右衛門の妹の婿 五代茂木房五郎(茂木三千蔵) 4代房五郎の長男 茂木啓三郎・誉家 1877年に茂木房五郎家から分家。 初代茂木啓三郎 2代茂木房五郎の長男 二代茂木啓三郎 (飯田勝次) 4代茂木房五郞の娘婿。「新式二号醤油」製造技術を無償公開。 茂木和三郎家 1906年に茂木房五郎家から分家。 茂木和三郎 4代茂木房五郎の弟 茂木七郎治家・かね七 1858年に七郎右衛門家から分家。 初代茂木七郎治(茂木善三郎) 三代茂木七郎右衛門の二男。質商を始め、財を成す。 二代茂木七郎治(林景) 茂木七郎治 (先代) 2代の長男。3代目七郎治 茂木七郎治(茂木高治郎) 3代の長男 中野長兵衛家 1873年に茂木七郎右衛門家から分家、中野家を興こした。 中野長兵衛 5代茂木七郎右衛門の子、6代茂木七郎右衛門の弟 中野栄三郎 6代茂木七郎右衛門の二男、中野長兵衛の養子 茂木勇右衛門家・向店 1822年に茂木七左衛門家から分家して醤油醸造を始める。茂木勇右衛門 6代茂木七左衛門の二男。妻は3代茂木七右衛門の娘。1841年に35歳で没。 二代茂木勇右衛門(茂木徳太郎) 先代の長男。15歳で家督を相続。 '''茂木一族系図'''本家・茂木七左衛門家 ┃1662 櫛形屋 ┃ ┣━━━━┳━━━━━━┳━━━━━━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 茂木佐平治家 ┃ ┃ 亀甲萬┃1688 ┃ ┃ ┃ 茂木七郎右衛門家 ┃ ┃ ┃1768 柏屋 ┃ ┃ ┃ 茂木勇右衛門家 ┃ ┃ 1822 向店 ┣━━━┓ ┣━━━━┳━━━━━┳━━━━━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 茂木房五郎家 ┃ ┃ ┃ 1921┃木白家 ┃ ┃ ┃ ┃ 茂木七郎治家 ┃ 茂木利平家 ┃ 1858 かね七 ┃ 1863 ┃ 中野長兵衛家 ┃ 1873 ┣━━━━━┳━━━━━━┓ ┃ ┃ ┃ 茂木啓三郎家 ┃ 1877 誉家 ┃ 茂木和三郎家 1906 堀切紋次郎家・相模屋 堀切紋次郎は1766年に流山で酒の醸造を始める。白味淋酒を1814年に発売。1917年の野田醤油合同に参加して万上味淋を設立。 濱口吉右衛門家 ジガミサ濱口吉右衛門濱口家はヒゲタ田中家とカギダイ深井家と1914年に銚子醤油(ヒゲタ醤油)を設立。1937年には野田醤油(キッコーマン)と資本提携。 吉田甚左衛門家 江戸後期に柏花野井の大地主・吉田甚左衛門家が広大な屋敷地で醤油醸造を始めた。キッコー千代とジガミ華之井があり醸造家として順調に発展していくが、1922年に野田醤油に売却した。 正田文右衛門家 群馬県館林の米穀商正田文右衛門は野田の茂木房五郎から醤油醸造の指導を受け、1873年に醤油醸造業を始めた。1917年に正田醤油株式会社社長となる。
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