茂木家の経営破綻と松坂屋の経営参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 14:14 UTC 版)
「野澤屋」の記事における「茂木家の経営破綻と松坂屋の経営参加」の解説
野澤屋を引き継いだ三代目茂木惣兵衛は第1次世界大戦前後の好景気で高騰していた生糸相場を背景に鉱工業への進出を図ったが、大戦終結の反動恐慌から1920年(大正9年)3月に七十四銀行や中核企業の茂木合名会社が倒産。この時の事業整理に於いて横浜で絹の貿易を手掛けていた亀井信次郎の働き掛けで、名古屋で繊維卸売業・瀧定を経営していた瀧定助(三代目惣兵衛の伯父)を社長に迎え、更には松坂屋などの出資を仰いで1921年(大正10年)に株式会社野澤屋呉服店を設立、店舗を引継いだ。その際に品揃えも拡張して取り扱い品目の面でも百貨店として再スタートを切った。 1923年(大正12年)9月1日に 起きた関東大震災では、伊勢佐木町のメインストリートに面した旧館が崩壊するなど百貨店として再建されてから2年足らずで災害に見舞われたため、鉄筋コンクリート造の新館を中心に営業を再開しながら1928年(昭和3年)には建物を再建し、1927年(昭和2年)には社名から呉服店を外して株式会社野澤屋とした。
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