花ノ木時代(1949-1967)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:54 UTC 版)
「安城市図書情報館」の記事における「花ノ木時代(1949-1967)」の解説
1949年(昭和24年)4月1日には安城農業図書館の蔵書などが安城町農会から安城町役場に譲渡され、安城農業図書館は安城町立図書館として再建されることとなった。7月には新館が建設され、蔵書・疎開図書の移動や図書の整理などを経て、11月1日に安城町立図書館が開館した。場所は今日の安城市役所正面駐車場北東角、大字安城花ノ木53(開館時)である。既存の木造平屋建の建物を移築したとされ、用地購入費を含めた建設費は1,186,500円程度だったとされる。蔵書は安城農業図書館から譲り受けた。開館前には大見為次安城町長が図書館長を兼任していたが、開館時には書記の岡田清之が専任館長に就任した。 1950年(昭和25年)12月末時点の蔵書数は7,440冊であり、閉館時の安城農業図書館より4,000冊ほど少なかった。とはいえ、1949年度(昭和24年度)には安城農業図書館のピーク時の閲覧者数37人/日を上回る59人/日が町立図書館を利用した。1950年度(昭和25年度)に527,060円だった図書館費は、1955年度(昭和30年度)に1,545,500円、1960年度(昭和35年度)に1,630,770円、1965年度(昭和40年度)に3,320,000円と伸びていった。蔵書数は1953年度(昭和28年度)に10,000冊を突破し、1961年度(昭和36年度)に20,000冊を突破した。 1952年(昭和27年)5月5日には安城町の市制施行にともなって安城市立図書館に改称している。延床面積は99坪(約330m2)と、120坪の安城農業図書館より手狭だった。さらに閉架方式を採用していたため、利用者は分類目録を見て借りたい図書を選び、閲覧票に記入して係員に手渡す必要があった。閲覧者数は1958年度(昭和32年度)の49,643人をピークとして減少しており、1966年度(昭和41年度)には10,833人まで落ち込んだ。その理由には図書購入費の減少、閉架方式など施設面の不備、隣接する愛知県道48号岡崎刈谷線からの騒音、経済力の向上によるテレビの普及や書店での購入の増加などが考えられている。1966年(昭和41年)に安城市役所が新築されるまで、図書館会議室は安城市議会議場としても使用されている。1960年(昭和35年)頃に購入していた定期刊行物は以下のとおりである。 1960年頃の定期刊行物一覧新聞 : 中部日本新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、中部経済新聞、デイリースポーツ、英字毎日新聞、NHK新聞、小学生朝日新聞雑誌 :『文藝春秋』、『小説新潮』、『世界』、『中央公論』、『芸術新潮』、『キネマ旬報』、『週刊平凡』、『アサヒカメラ』、『相撲』、『暮しの手帖』、『婦人生活』、『実業の日本』、『オール読物』、『近代映画』、『サンデー毎日』、『野球界』、『アサヒグラフ』、『主婦の友』、『東洋経済新報』、『俳句研究』、『囲碁』、『農業朝日』、『農業及び園芸』、『国際写真情報』、『農業世界』、『鶏の研究』、『畜産の研究』、『写真公報』、『時の法令』
※この「花ノ木時代(1949-1967)」の解説は、「安城市図書情報館」の解説の一部です。
「花ノ木時代(1949-1967)」を含む「安城市図書情報館」の記事については、「安城市図書情報館」の概要を参照ください。
- 花ノ木時代のページへのリンク