自民党を離党、新進党へとは? わかりやすく解説

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自民党を離党、新進党へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 00:14 UTC 版)

鹿野道彦」の記事における「自民党を離党、新進党へ」の解説

1994年細川内閣総辞職直前4月15日自民党を離党した。3日後の18日新党みらい結成し党代表就任した細川内閣の後を継いだ羽田内閣には新党みらい参画閣外協力したものの、内閣日本社会党連立離脱により少数与党転落し、わずか2ヶ月退陣するその後首班指名選挙では自民党を離党した海部俊樹投票するも、自民社会さきがけ3党が擁立した村山富市社会党委員長決選投票敗れ自社さ連立政権村山内閣誕生新党みらい海部を代表とした政党連合自由改革連合結成した後、12月10日新進党結党参画する新進党では海部党首の下で「明日の内閣新進党影の内閣)」外務大臣務め日本国連安保理常任理事国加入主張核開発続け中国対すODA疑問を呈するなど積極的に活動した。また当時は、政府提出した不戦決議に対して新進党外交政策担当として「一元的には対応できない問題」として反対する姿勢示し村山首相が「朝鮮半島南北分断されたのは我々にも責任がある」と発言したとされることについても予算委員会厳しく追及するといった(当時の社会政権対し対立軸鮮明にするという意図もあるが)保守的な姿勢強く打ち出していた。 海部党首退任後第2回党首選では小沢一郎推薦人となり、小沢当選後明日の内閣では総務庁長官となった。しかし鹿野らが推し進めてきた小選挙区制での初の選挙である第41回衆議院議員総選挙新進党敗北。この結果を受け、小沢執行部運営に不満を持った羽田孜奥田敬和らが離党し太陽党結成するなど党内情勢不安定に。更に小沢自民党梶山静六亀井静香らが提唱した保保連合構想によって小沢求心力はさらに低下する1997年このような状況受けて小沢再選阻止すべく、旧民社党日本新党出身者からの支持取り付け第3回党首選出馬。「今こそ新進党生まれ変わらなければならない」と訴え政権交代可能な2大政党の必要性唱えた(この時、落選中であった野田佳彦鹿野応援演説行っている)。選挙小沢一騎討ちとなり、結果的に再選を許すも小沢230票・鹿野182票と善戦した選挙後鹿野小沢の手取って選挙後の党の団結アピールするが、小沢鹿野投票した議員排除をはかる「純化路線」に走り選挙9日後の12月27日一方的に新進党解党宣言する新進党解党後党内の反小沢系の保守派議員集め1998年1月4日国民の声結成し代表に就任。さらに同月23日太陽党フロム・ファイブ細川護煕代表)と合流し民政党結党羽田党首かついで鹿野党幹事長就任する

※この「自民党を離党、新進党へ」の解説は、「鹿野道彦」の解説の一部です。
「自民党を離党、新進党へ」を含む「鹿野道彦」の記事については、「鹿野道彦」の概要を参照ください。

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