自民党の方針転換と反創価学会キャンペーンの終息
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「反創価学会キャンペーン」の記事における「自民党の方針転換と反創価学会キャンペーンの終息」の解説
1998年(平成10年)の第18回参議院選挙で自民党と社民党が敗北すると、自民党執行部は参議院選後に社民党が連立政権から離脱する可能性を想定し、参議院での自民党の過半数割れを防ぐために、当時、参議院で30議席以上を有していた公明党に着目し、それまでの対立関係から関係修復に「方針転換」させる。まずは、創価学会側と人脈的に繋がりのあった自民党の経世会(竹下派)を通じて創価学会や公明党に接近して、自民党は創価学会側の要求を受け入れ「シリーズ新進党=創価学会ウオッチング」の連載を事実上中止した。同じく、自民党の機関紙『自由新報』に掲載した、創価学会の池田大作名誉会長のレイプ疑惑については事実無根のデマだったとして、自民党総裁の橋本龍太郎(内閣総理大臣)らの自民党執行部が創価学会側に公式に謝罪して反創価学会キャンペーンは終息した。 自民党は公明党との「自公連立政権」の成立に向けた協議を進めて、1999年(平成11年)10月に自民党と自由党との連立政権に公明党も参加して「自自公連立政権」が成立する。 詳細は「自公連立政権」を参照 2001年(平成13年)に自民党系の「四月会」は解散した。
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