経営再建策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 21:43 UTC 版)
2008年(平成20年)2月20日には、都への400億円の増資要請などの再建策を発表し、拠点を1箇所に集約する方針を固めた。追加出資のための補正予算を都議会予算特別委員会で審議する過程でも、経営再建案に対しさまざまな疑問が示された。 発足した2004年度から2007年度の4年間の累積損失が1260億円に上り、経常収益約260億円の約5倍に上っていたことが明らかになった。事業規模を過大に見積もって体制を整えたことが運営コスト増大につながり、経営を一層圧迫する結果となっている。 新銀行東京が民間の出資者向けに作成した資料では、2008年3月期の業績見通しを非公式に下方修正しており、設立当初都議会に示された都の経営計画に対し疑問が投げかけられている。 累積赤字を解消するため減資が検討されているが、実行されれば今回の追加出資では終わらず都の負担がさらに膨らむ恐れもある。東京都が設立時の2004年(平成16年)に出資した1千億円のうち、700億円を都債で調達して、その利子負担が総額で100億円に上り、当初計画では2014年度に700億円を一括償還するとしていたが、減資が行われた場合、2008年度に637億円を減債基金に一度に積み立てる必要が生じる。 2008年度以降預金残高を200億円まで段階的に削減する方針が打ち出されているが、信用組合の下位クラスかそれ以下の規模に縮小してまで存続させることの意義についても疑問が示されている。 再建計画最終年の2011年度に焦げ付き(債務不履行)が600億円に膨れあがることが2008年3月11日に明らかになっている。焦げ付きは無担保融資を中心として融資総額の25%程度を占めている。 エムケイタクシーを傘下に置くエムケイグループと、近畿産業信用組合会長の青木定雄は、新銀行東京との事業提携もしくは事業譲渡を東京都知事石原慎太郎へ申し出た(読売新聞 2008年5月22日報道による)。 経営再建の一環として人員整理も合わせて行われているが、整理予定を上回る、同社を見限った人材の流出が起こった。具体的には、2008年(平成20年)5月末から6月の僅か1か月間で、全正社員の3分の1に当たる約60人が退職(2008年8月4日15時1分配信 毎日新聞)。2004年に行われた行員公募の倍率は50倍を超えていたことを考えると、その狭き門をくぐりぬけた優秀な人材たちに見切りをつけられたということになる。 企業が本行の融資を受けられるよう都議や国会議員が口利きをしたという案件のリストが流出し公表されているが、本行がこれを「重大な権利侵害に当たる」として削除を求めていることが2008年(平成20年)11月18日の都議会の答弁で明らかになった。 会員制情報誌「FACTA」2012年10月号に、公的資金の「完済計画」を発表したばかりのあおぞら銀行に、新銀行東京の買収観測が持ち上がっているという記事が掲載された。また週刊文春に、新銀行東京の清算後の受け入れ先としてゆうちょ銀行、イオン銀行、大手地銀、あおぞら銀行の4行の名前が掲載された。 新銀行東京は、提携先であった複数の信金から「融資保証の不履行」で訴えられ、敗訴し続けている。「無担保・無保証」という採算度外視の融資が売り物だった同行は、営業基盤が乏しかったため、おもに都内の信金と提携ローンを組んでいた。信金が中小企業に融資し、その8割を新銀行東京が保証する仕組みである。新銀行東京の保証残高は07年3月末のピーク時には743億円まで膨れあがった。だがその後、貸し倒れによる代位弁済が次々に発生。しかし新銀行東京は、信金に対する保証を履行しないケースが多発した。結果、都内の4信金(朝日、西京、興産、東栄)と大阪信金は訴訟に踏み切り、新銀行東京が敗訴もしくは和解が成立している。
※この「経営再建策」の解説は、「新銀行東京」の解説の一部です。
「経営再建策」を含む「新銀行東京」の記事については、「新銀行東京」の概要を参照ください。
- 経営再建策のページへのリンク