紙のプロレス時代:1993-2004とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 紙のプロレス時代:1993-2004の意味・解説 

紙のプロレス時代:1993-2004

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:22 UTC 版)

吉田豪」の記事における「紙のプロレス時代:1993-2004」の解説

入社から2年後『紙のプロレス』(以下、紙プロ)と出会う。『紙プロ』がイベント行った時にターザン山本高田文夫トークイベント動員悪かったため、サクラで来るよう言われ(しかもイベント途中でターザン帰ってしまった)、イベント終了後編集長挨拶行ったところ、そのまま『紙プロ編集部まで連れて行かれ、朝まで仕事させられる。その報酬よかったため、以後アルバイト手伝うようになり、「プロレス用語大辞林」「日佐夫クン人劇場 書評星座」などのコーナー担当。 後に『紙プロ』へ完全移籍。この時期に、従来漫画評論無視されていた梶原一騎ダーク作品論じたマンガ地獄変』(水声社)や、サブカル視点から作られたプロレスムック『悶絶プロレス秘宝館』(バーン・コーポレーション/シンコーミュージック)にメイン・ライターとして参加。この二冊は好評で、特に『マンガ地獄変』はVOL.4原稿執筆終えていたが、どちらも編集者モーニング娘。ハマり(前者は「爆音娘。主催だったビバ彦、後者は「吉田豪人間コク宝」(2020年現在実話BUNKA超タブー』(コアマガジン連載)のカメラマン務めごっしー仕事放棄したため打ち止めとなった1996年発行会社ダブルクロス分裂し、『紙のプロレス RADICALになって以降は、紙プロ編集部を置きながらフリーライターとして活動。『BUBKA』(コアマガジン白夜書房)『ダカーポ』(マガジンハウス)など、30前後連載抱え人気ライターとなる。 『紙のプロレスRADICAL』は、SWS再評価など他の専門誌扱わないレスラー団体スポット当て当時業界権威であった新日本プロレス週刊プロレスアンチ唱える姿勢で、タブー少な雑誌としてカルト的な人気博した編集長山口日昇PRIDE運営関わるようになって以降利害関係ができてしまい、「紙プロDSE機関紙揶揄される」ほどPRIDE一辺倒雑誌になった吉田はこれに対して誌面行なわれる山口との対談など批判的なスタンス取りバランスを取る役割担っていた。 2004年、紙プロであるプロレスラーの妻の本を書評した際、山口呼び出されてそのプロレスラーから叱責を受けることとなる。吉田は、これを「パートナー変更宣言だった」「今まで普通にできていたことがPRIDEとの利害関係生じて、できなくなってしまったから起こった事件」と述べている。他の編集部員吉田残留望んだ新し事務所移転時、山口の妻から吉田置かないことを告げられ、紙プロを去る。 山口とは2012年2月に紙プロ後継紙『KAMINOGE』にて対談行った山口ハッスル運営入り込んだ結果、億単位借金負ってしまい「今となっては豪ちゃんの言う通りかもな、ホントに…」と語っている。

※この「紙のプロレス時代:1993-2004」の解説は、「吉田豪」の解説の一部です。
「紙のプロレス時代:1993-2004」を含む「吉田豪」の記事については、「吉田豪」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「紙のプロレス時代:1993-2004」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「紙のプロレス時代:1993-2004」の関連用語

1
4% |||||

紙のプロレス時代:1993-2004のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



紙のプロレス時代:1993-2004のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの吉田豪 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS