紙の品質に対する価値観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:15 UTC 版)
きわめて古い時期には、「厚い紙」が堅固で良いものとされており、戸籍など保存性を要求される公文書に用いられていた。しだいに紙の需要が増大すると、中国では竹を原料とすることで紙の増産を実現したが、日本では原料がもっぱらコウゾに限られていた。日本では、限られた原料からより多くの紙を生産するために、紙を薄く漉く技術が編み出されていった。薄い紙を漉くための技法にはいくつかあり、紙の生産地ごとに異なる方法が磨かれていったが、たいていその技法は門外不出とされており、紙の名称は産地を表すと同時に、特定の製法で漉かれた紙を指していたその代表が美濃紙で、もとは美濃国産の紙のことだったが、美濃で薄い紙を漉くようになると、美濃で漉かれた薄い紙を「美濃紙」と呼ぶようになり、やがて美濃紙の製法が各地へ広まると、美濃産でなくとも、その製法で漉かれた薄い紙を「美濃紙」と呼ぶようになった。 こうした薄い紙を作り始めたのが早かったのは、筑紫国、播磨国、それに越国だった。記録では746年(天平18年)に播磨国から薄紙(播磨で産したので「播磨紙」と呼んだ)が正倉院へ納められている。こうした薄紙は写経に用いられたほか、屏風や神輿にも使われた。 平安時代になると、新たな紙の消費者層として公家の女性が登場した。彼女たちは薄く滑らかな紙を好み、特に「薄様」と呼ばれた斐紙を愛好した。『源氏物語』『枕草子』『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『紫式部日記』『宇津保物語』などには薄い紙の良さへの言及がある。 これに対し、公家の男性は厚手のコウゾの紙を好み、コウゾをふんだんに使った厚い紙は高級紙としてステータスシンボルでもあった。
※この「紙の品質に対する価値観」の解説は、「杉原紙」の解説の一部です。
「紙の品質に対する価値観」を含む「杉原紙」の記事については、「杉原紙」の概要を参照ください。
- 紙の品質に対する価値観のページへのリンク