よない‐みつまさ【米内光政】
米内光政 よない みつまさ
岩手県生まれ。海軍軍人、政治家。盛岡中学校、海軍兵学校、海軍大学校を卒業。日露戦争に従軍。第3艦隊司令長官、第2艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官などを歴任し、昭和11年(1936)連合艦隊司令長官。翌年林内閣の海相、海軍大将となり、第1次近衛内閣、平沼内閣では留任。15年(1940)1月組閣し首相に就任したが同年7月総辞職。東条退陣後、小磯内閣で海相に復帰。以後、鈴木、東久邇、幣原の各内閣の海相を歴任し、太平洋戦争終結と戦後処理にあたった。
キーワード | 海軍軍人, 政治家, 首相 |
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米内光政
米内光政
米内光政(よない みつまさ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 16:19 UTC 版)
「夢幻の軍艦大和」の記事における「米内光政(よない みつまさ)」の解説
元内閣総理大臣・海軍大臣。自宅で山本と将棋を指す場面がある。その席で山本は今が講和の機会ではないか、と話を持ちかけるが、緒戦の勝利に国民が浮かれている今は難しい、と米内は否定する。もう一度、有利に講和の機会を作ってくれれば、と米内は言う。山本は、それには米空母を残らず沈めてしまうことしかない、と答える。
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米内光政(海兵29期)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 14:37 UTC 版)
ロシア革命直前の1915年(大正4年)~1917年(大正6年)に駐露武官となる。後に海軍大将、内閣総理大臣。
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米内光政(よない みつまさ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 17:36 UTC 版)
「狂四郎2030」の記事における「米内光政(よない みつまさ)」の解説
旧自衛隊元帥。旧自衛隊の中では、現ゲノム体制で最も高位に上り詰めた一人。旧自衛隊員には神格化されており、狂四郎のような旧自衛隊系以外の軍人出身者からも敬愛されている。先細りにある旧自衛隊派をまきかえすために秘密結社「まほろば」を結成運営する老人。見た目は温和で、語り口は聡明そうだが実は心中の差別感情は高く、残虐性を秘めた老人。
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