筑後遠征とは? わかりやすく解説

筑後遠征

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:11 UTC 版)

高橋紹運」の記事における「筑後遠征」の解説

天正12年1584年)の沖田畷の戦い龍造寺隆信討ち死にしたことにより、島津方の圧力が強まる中、紹運は立花道雪朽網鑑康と共に筑後支配回復すべく戦っていた。3月豊後国大友軍は黒木家永筑後猫尾城攻撃したが、城方奮戦龍造寺方の援軍土肥家実(土肥出雲守)を前に戦線膠着した。8月18日、道と紹運は大友義統出兵要請を受け、両家合わせておよそ5,000の兵で出陣し、勇ましい強行軍態勢で敵領地筑後川道路未整備鷹取山耳納連山高峰九十九折など山険難所越え鉄砲隊埋伏していた秋月筑紫草野星野連合軍蹴散らし田主丸町片瀬恵利渡口石垣表の戦い)、ただ1日筑前から筑後まで15里(約60キロ)の行程走って8月19日夕方猫尾城支城・高牟礼城下到着した。道はさっそく城将椿原氏部調略し、24日に高牟礼城は開城降服して土肥家実も佐賀戻ったつづいて犬尾城川崎重高(一説には河崎鎮堯)も降り25日には川崎権現山に陣替えしたが、筑後高良山座主丹波良寛大祝保真、宗崎孝直甘木家長、稲員安守らも大友軍に加わった28日には道一族立花鎮実(戸次右衛門大夫)を将として800別働隊率いて坂東寺に入り城島城攻めた立花勢は鎮実以下、竹迫鑑種(竹迫日向守)と安倍親常(安倍六弥太)らが勇戦して数人討ち取ったが、城主西牟田家親と西牟田家和兄弟率い城兵300騎の激し抵抗遭った立花勢は劣勢で、道味方危機を救うため増援部隊送ったが、そこへ龍造寺政家援兵到着したので、100余り死傷者出して髙良山へ撤退した立花勢の大将戸次右衛門太夫もこの時戦死した多く書物記しているが、異説もある。 道と紹運の本隊酒見榎津貝津などの集落焼き払って、ついに大友諸将軍議ひらいて猫尾城総攻撃決めて9月5日落城させた。 9月8日から11日まで、蒲池鎮運の山下城谷川城、辺春城、兼松城、山崎城など筑後諸城降伏攻落した。この間もう一度坂東寺に陣を取り豊後大友軍の総大将田原親家軍議して三潴郡西牟田村酒見榎津近辺数百民家焼き払い9日柳川城周辺山門郡内の龍造寺方の諸城攻めて10日上瀬高・下瀬高鷹尾村焼き払って城主田尻鑑種不在であった鷹尾城占領した龍造寺家晴柳川城九州有数難攻水城であり、その支城百武賢兼の妻・圓久尼が鎮守する船津百武城も同じ水路入りくみ沼地が自然の要害となっていた難攻の城で、さすがの道、紹運も攻略進展ができなかった。そのため、10月3日には筑後高良山座主丹波良寛勧めもあって、高良山引揚げ軍勢転じて久留米城安武城、吉木竹井城を攻落した。10月4日両軍草野永の発心岳城を進攻し、のち星野吉実鷹取城福丸城・星野城、そして11月14日問註所康純の井上城攻めて秋月領の甘木辺りまで焼き討ちした。その際田原親家は両将の戦功嫉み、更に年の暮れ迫っていたので、豊後引揚げた残された道、紹運や朽網鑑康志賀親守らは、高良山中心に筑後川沿った坂から北野布陣したまま、年の越え迎える。 天正13年1585年2月上旬から4月23日まで龍造寺政家龍造寺家晴鍋島直茂江上家種後藤家信筑紫広門波多親草野鎮永、星野吉実秋月種実問註所鑑景、城井鎮房長野種信、千手氏など肥前筑前筑後豊前連合軍およそ30,000余の大軍小森野十三部、千本杉祇園原など(総じて筒川合戦久留米合戦) で数々激戦があったが、道と紹運、鑑康、良寬大友軍は9,800劣勢ながら、いずれも見事で兵法戦術兵器陣形活用してしばしば局地戦で敵大軍撃破し討ち取った雑兵数百及び兜首計約四百七十戦果挙げたが、龍造寺側に決定的な打撃与えることができなかった。 天正13年1585年9月、道病没。これを好機見た筑紫広門宝満城を奪取されたため、紹運は筑後遠征を中止して宝満城を奪回する。のちに広門と和睦し、広門の娘・加袮を次男・統増の正室迎えた

※この「筑後遠征」の解説は、「高橋紹運」の解説の一部です。
「筑後遠征」を含む「高橋紹運」の記事については、「高橋紹運」の概要を参照ください。

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