第一次天正伊賀の乱とは? わかりやすく解説

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第一次天正伊賀の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/16 09:34 UTC 版)

比自山城の戦い」の記事における「第一次天正伊賀の乱」の解説

天正伊賀の乱#第一次天正伊賀の乱」も参照 やがて伊賀すべての隣国信長平定されると、織田氏からは頻繁に臣従するよう圧力掛かったそんな中信長次男三瀬の変北畠家乗っ取っていた北畠信意(のちの織田信雄)は、自らの力だけで伊賀平定すれば父に功を称されるだろうと考えていた。信意は家老柘植保重進言伊賀衆一人である下山甲斐守の内通により伊賀侵攻決意し、まず滝川雄利丸山城再建命じた。しかし丸山城伊賀衆奇襲され焼き払われた。これに激怒した信意は柘植に1,500人、自らは8,000の手勢を率いて3方から伊賀侵攻した。しかし伊賀衆激し抵抗により殿軍柘植保重と約6,000の兵が討ち死にするなど大敗喫した。これについて信長は「自らの力で平定すれば功を称されるだろうという考え若気の至りであり、父・信長許可無く攻め込むとは許し難い」として信意を蟄居させた(『信長公記』)。また、この敗戦を期として信意と下山甲斐守の間も不和となり、信意は下山蟄居命じた

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第一次天正伊賀の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 08:58 UTC 版)

天正伊賀の乱」の記事における「第一次天正伊賀の乱」の解説

北畠家養子となっていた織田信長次男織田信雄は、天正4年1576年)に北畠具教北畠一族三瀬の変暗殺し伊勢国掌握すると、次は伊賀国領国化を狙っていた。1578年天正6年2月伊賀国郷士の日奈知城主下山兵衛下山甲斐守)が信雄を訪れ伊賀国の手引きを申し出た。信雄は同年3月滝川雄利北畠具教隠居城として築城した丸山城修築命じた。 これを知った伊賀国郷士衆は驚き丸山城の西にある天童山密偵送り築城様子うかがった。この時の様子が、 「 丸山城指図 山城也、此山根置周取廻六百九十六間、山下地形里山までの高サ三十有南方を正面とす 麓より二の丸へ越登道九折にして六十間 山整地広さ南北四十四東西二十五間 右整地之内に三層殿主あり天守台六間四方台の高さ三間四方石垣なり 」 —伊賀旧考 とあり、3層天守天守台石垣固められ、また二の丸への登城道は9回折れているなど、規模壮大なであった記されている。 すぐさま伊賀郷士11名が平楽寺集まり、「完成まで攻撃すべし」と集議一決した丸山城周辺神戸上林比土才良郡村、沖、市部猪田依那具四十九比自岐衆が集結し同年10月25日集結した忍者たち総攻撃開始した。不意を突かれ滝川雄利軍や人夫衆は混乱し昼過ぎには残存兵力糾合伊勢国敗走した。『伊乱記』には、「伊賀衆は雄利を討ち取った喜んだ。しかし雄利が無事であることを知って落胆した」とある。 翌天正7年1579年9月16日、信雄は信長相談もせず独断で8,000の兵を率いて伊賀国に3方から侵攻したが、伊賀郷士衆は各地抗戦し信雄軍を伊勢国敗走させた。伊賀衆夜襲松明用いた撹乱作戦地形活かした奇襲などで、2~3日で信雄軍は多くの兵を失い伊勢敗走した。信雄軍は重臣柘植保重討たれる(鬼瘤峠の戦い)など被害甚大で、侵攻失敗終わった。信雄が無断伊賀侵攻し、さらに敗戦したことを知った信長激怒し、信雄を叱責した。信長が信雄に「親子縁を切ると書いた書状したためたというからその怒りは相当なものであった考えられるまた、この信雄の敗戦を受け、信長忍者対し警戒心抱き、後の第二次伊賀の乱繋がっていく。しかし信長この頃石山本願寺との抗争激化し伊賀国平定後回しせざるを得なかった。

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