第一次大統領就任演説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:00 UTC 版)
「エイブラハム・リンカーン」の記事における「第一次大統領就任演説」の解説
1861年3月4日の就任式では、ターナーがリンカーンの護衛を行った。リンカーンは、南部の市民に向けた下記のような第一次大統領就任演説(英語版)を行い、再度南部州における奴隷制を廃止する意志も意向もないと強調した。 南部諸州の人々の間には、共和党が政権を掌握したために、彼らの財産と平和と個人の保障が脅かされようとしているという危惧があるように思われます。このような危惧にはなんらもっともな理由はありませんでした。いな、危惧とは反対に、安心してしかるべき十分な証拠が終始存したのでして、彼らにして調べたいと思えばいつでも調べられたのです。そのことは私の、ほとんどすべての公の演説の中にもみられます。その中のだた一つだけを引用すれば、私は「奴隷制度が布かれている州におけるこの制度に、直接にも間接にも干渉する意図はない。私はそうする法律上の権限がないと思うし、またそうしたいという意思はない。」と宣べています。 — リンカーンの第一次大統領就任演説、1861年3月4日 南部州が連邦からは脱退できないと述べたあと、「この国もその制度も、この国に居住する人民のものであります。国民が現在の政府に飽きてきた場合には、いつでも憲法上の権利を行使して、政府を改めることもできますし、あるいは革命権を行使して、政府を解体し打倒することができるわけであります。」と語った。 さらに南部の人々に対する次のようなアピールで演説を締めくくった。 われわれは敵同士ではなく、友であります。われわれは敵であってはなりません。...神秘なる思い出の絃(いと)(mystic chords of memory)が、わが国のあらゆる戦場と愛国者の墓とを、この広大な国土に住むすべての人の心と家庭とに結びつけているのでありまして、(この絃が)必ずや時いたって、われわれの本性に潜むよりよい天使(the better angels of our nature)の手により、再び触れ(奏で)られるとき、そのときには連邦の合唱が重ねて今後においても高鳴ることでありましょう(yet swell the chorus of the Union)。 — リンカーンの第一次大統領就任演説、1861年3月4日 1861年和平協議も失敗し、立法による妥協は難しくなったことを示していた。1861年3月までに、いかなる条件でも反乱(脱退州)の指導者たちは連邦に戻ろうと提案することがなくなった。一方リンカーンと共和党指導者のほとんどすべては、連邦を解体することを許容できないという見解で一致していた。
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