白水阿彌陀堂とは? わかりやすく解説

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しらみず‐あみだどう〔しらみづアミダダウ〕【白水阿弥陀堂】

読み方:しらみずあみだどう

福島県いわき市内郷白水(うちごうしらみず)町にある真言宗願成(がんじょう)寺の阿弥陀堂通称永暦元年(1160)国守岩城(平)則道の後室徳尼(藤原秀衡の妹)が亡夫追善するために独立仏堂として建立。3間四方方形造(ほうぎょうづくり)で、平安後期阿弥陀堂形式代表する遺構国宝


しらみずあみだどう 【白水阿弥陀堂】


阿弥陀堂(白水阿弥陀堂)

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近世以前(寺院):  長寿寺本堂  長弓寺本堂  長谷寺  阿弥陀堂  霊山寺本堂  高山寺石水院  鶴林寺太子堂

白水阿弥陀堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 07:51 UTC 版)

白水阿弥陀堂

阿弥陀堂(国宝
所在地 福島県いわき市内郷白水町広畑221
位置 北緯37度2分11.45秒 東経140度50分14.17秒 / 北緯37.0365139度 東経140.8372694度 / 37.0365139; 140.8372694座標: 北緯37度2分11.45秒 東経140度50分14.17秒 / 北緯37.0365139度 東経140.8372694度 / 37.0365139; 140.8372694
山号 菩提山
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来
創建年 永暦元年(1160年
開基 徳姫(岩城則道の妻)
札所等 磐城三十三観音4番
文化財 阿弥陀堂(国宝)
木造阿弥陀堂如来及両脇侍像、木造持国天・多聞天立像(重要文化財)
白水阿弥陀堂境域(国の史跡
白水阿弥陀堂
白水阿弥陀堂 (福島県)
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白水阿弥陀堂
庭園

白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)は、福島県いわき市内郷白水町広畑にある平安時代末期建立の仏堂。同地所在の真言宗智山派の寺院・願成寺(がんじょうじ)が所有する。

福島県内唯一の国宝建造物である(2019年現在)。国宝指定名称は「阿弥陀堂(白水阿弥陀堂)」。浄土式庭園を含む境内地は白水阿弥陀堂境域(しらみずあみだどうきょういき)として国の史跡に指定されている。

概要

白水阿弥陀堂は、平安時代末期の1160年永暦元年)に、岩城則道岩城氏の祖)の妻・徳姫藤原清衡の娘)によって建立された。徳姫は、夫・則道の菩提を弔うために寺を建てて「願成寺」と名付け、その一角に阿弥陀堂を建立した。阿弥陀堂はその後、後鳥羽上皇により勅願寺とされた。江戸時代には、徳川将軍家より寺領10石を与えられるなど、歴代の為政者に保護され、現在に至っている。

阿弥陀堂は明治35年(1902年)7月、当時の古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定され、昭和27年(1952年)3月29日、文化財保護法に基づく国宝に指定されている。堂は近くに所在する願成寺の所有である。ただし、池を含む浄土庭園の大部分はいわき市の所有・管理になる[1]

阿弥陀堂は方三間(正面・側面とも柱が4本立ち、柱間が3間となる)の単層宝形造で屋根はとち葺。堂内は内陣の天井や長押、来迎壁(本尊背後の壁)などが絵画で荘厳されていたが、現在は一部に痕跡を残すのみである。内陣の須弥壇上には阿弥陀如来像を中心に、両脇侍の観音菩薩像と勢至菩薩像、ならびに二天像(持国天像、多聞天像)の5体の仏像が安置されている。東北地方に現存する平安時代の建築は、岩手県平泉町中尊寺金色堂宮城県角田市高蔵寺阿弥陀堂、当堂の3棟のみである[2]

阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれ、正面に当たる南から中の島を経由して堂にいたる参拝道が設けられている。さらに北・東・西は山で囲まれており、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は平安時代末期に盛んだった浄土式庭園の様を成している。これらの構造は、徳姫が奥州藤原氏の娘であることも手伝って、毛越寺無量光院といった平泉の寺院の構造に影響を受けている。「白水」という地名は、平泉の「泉」という文字を2つに分けたもので、岩城氏の本拠地であったという地名の由来も平泉の「平」を取ったものだという説がある。

2011年3月11日に発生した東日本大震災による損傷を受け、阿弥陀堂の拝観が中止されたが、2012年7月に修復が終わり再開された。また、同時に損傷した所蔵の阿弥陀如来坐像と持国天像が京都に送られ修復作業が行われた。

2023年(令和5年)9月、台風13号から変わった熱帯低気圧による大雨で近くを流れる新川が氾濫し、水位が床上20~30cmに達する床上浸水の被害を受けた[3]

例年秋頃に、紅葉ライトアップ及びプロジェクションマッピングイベントである、アミダナイトが開催されている。

文化財

国宝

  • 阿弥陀堂
桁行と梁間はともに3間、一重の宝形造。屋根はとち葺である。1952年(昭和27年)3月29日、国宝(建造物)に指定された。

重要文化財(国指定)

史跡 白水阿彌陀堂境域
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成1975年撮影
  • 木造阿弥陀如来及両脇侍像 3躯
  • 木造持国天立像(寺伝広目天像)・木造多聞天立像 2躯

史跡(国指定)

  • 白水阿弥陀堂境域

発掘調査によって、国宝阿弥陀堂が大きなの中に設けられた中島に建てられ、浄土庭園の典型的な構成を示していることが判明した。1966年(昭和41年)9月12日、周辺山林や農地、民家敷地を含めた243,669平方メートルにわたる広大なエリアが国の史跡に指定された。

所在地・アクセス

所在地

  • 白水阿弥陀堂 福島県いわき市内郷白水町広畑221
  • 本坊願成寺 福島県いわき市内郷白水町広畑219[1]

アクセス

鉄道

路線バス

道路

※毎月第4水曜日(12月は第2水・木曜日)は休みとなり、橋を渡って境内に入ることができない。

脚注

  1. ^ a b 「拝観・交通のご案内」(白水阿弥陀堂サイト)
  2. ^ 「いわき市の文化財」、p.1(2019年3月23日閲覧)
  3. ^ 国宝・白水阿弥陀堂が浸水被害 仏像は無事、復旧見通せず”. 福島民友新聞 (2018年10月31日). 2023年9月10日閲覧。

関連項目

外部リンク


白水阿弥陀堂(福島県いわき市、国宝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:39 UTC 版)

院政期文化」の記事における「白水阿弥陀堂(福島県いわき市国宝)」の解説

正式に願成寺阿弥陀堂土地豪族岩城則道夫人徳尼(藤原秀衡の妹)が夫の菩提を弔うため、永暦元年1160年)に建立した阿弥陀堂で、単層三間四方宝形造である。北・東・西の三方は山に囲まれ南側前面浄土庭園広大な苑池ともない建築取り巻く環境が見事で、考古資料としての価値も高い。白水の名は平泉の「泉」の字を二分してつけられた。

※この「白水阿弥陀堂(福島県いわき市、国宝)」の解説は、「院政期文化」の解説の一部です。
「白水阿弥陀堂(福島県いわき市、国宝)」を含む「院政期文化」の記事については、「院政期文化」の概要を参照ください。

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