発祥から展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 21:53 UTC 版)
20世紀に起こった、プロテスタントを中心とするキリスト教の教会一致運動を、エキュメニカル運動、エキュメニズムといい、「世界教会一致運動」と訳される。この立場にたち、キリスト教の超教派による対話と和解、一致を目指す主義をエキュメニズム(世界教会主義)という。 20世紀になって盛んになったエキュメニズムは、1910年のエジンバラ世界宣教会議を源流とする。もともとプロテスタントにおいて始まったものだったが、現代のキリスト教における大きな潮流の一つとなっている。 エキュメニカル運動では、プロテスタントと正教会が加わる世界教会協議会(WCC) が長年取り組みを続け、カトリック教会も第2バチカン公会議(1962年 - 1965年)を経てこれに呼応し、近年では特に、カトリックとプロテスタントのルーテル教会、聖公会の取り組みが成果を挙げている。活動のレベルとしても、教派を越えた信徒レベルの対話や交流から、ローマ教皇やコンスタンディヌーポリ総主教、モスクワ総主教のような高位の聖職者・教役者を交えた教派間の対話まで様々な活動が世界各地で行われている。 第2バチカン公会議によれば、「エキュメニカル運動とは、教会の種々の必要と時宜に応じて、キリスト者の一致を促進するために奨励され組織される活動と企て」である。カトリック教会においては第2バチカン公会議以降、エキュメニズム運動が全教会規模で盛んになった。この公会議においてローマ教皇パウロ6世のもとで『エキュメニズムに関する教令』が布告されており、ここで教会の交わりを妨げている障害が取り除かれた後に、すべてのキリスト者は聖体の唯一の祭儀の中で、単一有一の教会の一致のうちに集められると述べている。また、パウロ6世は正教会のコンスタンディヌーポリ総主教アシナゴラスとともに、1054年以来続いていた東西教会の相互の破門宣告を取り消している(大シスマを参照)。カトリック教会ではプロテスタントのルーテル教会など諸教会との様々な対話や、宗教の枠を超えてイスラム教や仏教など世界の諸宗教との対話を行っている。ドイツの教会会議は、キリスト教を超えて、諸宗派、諸宗教が一致した多元的な「世界エートス」を目的としている。 神学的には、エキュメニズム活動の理由は「全ての人がキリストによって建てられた唯一の教会の成員として神と交わることです。主が『すべての人を一つにしてください』(ヨハネ17、20)と祈られた」から。そのため、エキュメニズムは、諸教会の努力の他に、祈りによる一致が最も大切だものであり、それは何よりも神からの賜物である意識が強い:「私たちの力だけで一致を『もたらす』ことはできません。それはただ聖霊の賜として頂くことができるのです。それゆえ、霊的エキュメニズム、つまり祈り、回心、そして生活の聖化こそが、エキュメニカルな出会いと運動の中心なのです」。 日本では日本基督教団がエキュメニズムに果たした役割が評価されている。また、『義認の教理に関する共同宣言』は、カトリック東京大司教区エキュメニズム担当委員から「世界エキュメニカル史上画期的出来事」と評価される。日本においては、カトリック教会とプロテスタント諸教派が協力して日本聖書協会から新共同訳聖書を出版し、またカトリック教会と日本聖公会は「主の祈り」の同一の日本語訳文を採用している。しかしながら、一部のプロテスタントの教派は、カトリック教会における聖人崇敬を批判したり、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}本来ならば神と神を信じるものとの間における個人的なダイアローグであるべき祈りが、カトリック教会において教会や聖職者にも一定の権威を認めていることなどを激しく批判しているプロテスタント教派もある。すなわち、聖書やキリスト教に関して深い知識と信仰がある聖職者といえども、あくまでも聖職者にすぎず神それ自体ではないため、解放の神学など社会派に対する態度のような聖職者が個人的に抱いている政治的・思想的態度が信徒や求道者の教会生活に影響を及ぼす事を懸念している[要出典]。 カトリック教会の元教皇ベネディクト十六世によればエキュメニズムはカトリック信者にとっての最優先課題であると言い、次にようにその考えを示している:「キリストに従う全ての人々の一致を、完全に見える形で再建することを最優先課題にすることです」。
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