画風・作者・年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 04:26 UTC 版)
「佐竹本三十六歌仙絵巻」の記事における「画風・作者・年代」の解説
各画面は、まず歌仙の位署(氏名と官位)を記した後、略歴を数行にわたって記し、代表歌1首を2行書きにする。それに続いて紙面の左方に歌仙の肖像を描く。上巻・下巻の構成はそれぞれ次のとおりである(歌人のフルネームは後述)。 上巻 - 人麿、躬恒、家持、業平、素性、猿丸、兼輔、敦忠、公忠、斎宮、宗于、敏行、清正、興風、是則、小大君、能宣、兼盛 下巻 - (住吉明神)、貫之、伊勢、赤人、遍照、友則、小町、朝忠、高光、忠岑、頼基、重之、信明、順、元輔、元真、仲文、忠見、中務 古来、絵の筆者は藤原信実(1176年 - 1265年)、文字の筆者は後京極良経(1169年 - 1206年)と伝承するが、確証はない。絵の筆者は数人の手に分かれており、信実筆の可能性が高い後鳥羽天皇像(水無瀬神宮蔵、国宝)よりは様式的に時代が下るものと思われる。また、文字は13世紀前半の作である承久本『北野天神縁起絵巻』(国宝)の第3巻1・2段の詞書の書風に近いことが指摘されている。以上の画風・書風の検討、また男性歌人像の装束の胸部や両袖部の張りの強さを強調した描き方などから、佐竹本の制作年代は鎌倉時代中期、13世紀と推定されている。なお、佐竹本の位署・略歴等の文字には誤字脱字の多いことが指摘されている。 描かれている歌人たちは、『万葉集』の時代から、下っても10世紀頃までの人物であり、当然ながら、現実のモデルを前に制作された肖像ではなく理想化された肖像である。画面には歌人の姿のみを描き、背景や調度品等は一切描かないのが原則であるが、中で身分の高い斎宮女御徽子のみは繧繝縁(うんげんべり)の上畳(あげだたみ)に座し、背後に屏風、手前に几帳を置いて、格の高さを表している。36名の歌人の男女別内訳は女性5名、男性31名である。女性歌人は上記の斎宮女御のほか、小大君、小野小町、中務、伊勢で、小大君、小野小町、中務は唐衣に裳の正装であるが、伊勢は唐衣を略す。女性歌人のうち、斎宮女御は慎み深く袖で顔を隠している。また、絶世の美女とされた小野小町は顔貌が見えないように後向きに描かれ、容姿については鑑賞者の想像に委ねる形となっている。 男性歌人像は束帯姿18、直衣(のうし)姿7、狩衣(かりぎぬ)姿2、褐衣(かちえ)姿2、僧侶2となっている。男性像では藤原興風、藤原朝忠は後向きの体勢で描かれ、藤原仲文は脚を立膝とするなど、単調になりがちな画面に変化をつけている。なお、凡河内躬恒の図は当初のものが失われ、江戸時代に狩野探幽筆のものに代わっている。紀貫之の文字の部分も後補である。 三十六歌仙は、近世に至るまで画帖、額絵など様々な形で絵画化され、遺品も多いが、佐竹本三十六歌仙絵巻は、上畳本三十六歌仙絵巻と並んで三十六歌仙図のうちでも最古の遺品であり、鎌倉時代の大和絵系肖像画を代表する作品と評されている。
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