画風・構図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:09 UTC 版)
幅広い画題を描くに当たり、芳年は師国芳に学んだ歌川派の画風に止まらず、四条派や円山派の画風をも取り込み、多彩な画風・技法で100作を描き分けている。例えば「月夜釜」(18) は落語「釜泥」を主題とした作品だが、大釜を盗み出した2人の盗人は細く長い手足の鳥羽絵の技法を用いてユーモラスに描かれている。また「吼噦」(15) と「むさしのゝ月」(98) は、どちらも月明かりに照らされた薄野に狐を配した作品だが、「吼噦」のススキがリアルな描写であるのに対し、「むさしのゝ月」では、摺りの段階で版木を濡らした上に絵具を垂らして滲みを作る「あてなしぼかし」という技法でススキの茂みが表現されている。画題・構図・服飾等に関しては、師歌川国芳の作品や、江戸時代に刊行された各種の異種百人一首、菊池容斎『前賢故実』など幅広い資料を参照し制作に当たったものと考えられている。 タイトルに反し、画面中に月を描いていない作品も数点存在する。室内を描いたためにそうなった作品もあるが、一部作品は敢えて月を描かず、画面外の月を鑑賞者に想像させることで、画面に奥行きや広がりを持たせる効果を狙っている。例えば「信仰の三日月」(20) は、山中幸盛が月に向かい「(尼子家再興のためならば)願わくば我に七難八苦を与え給え」と祈ったという姿を描いたものだが、月を見つめる幸盛を正面から捉え、鑑賞者の背後に月があると思わせて画面の奥行きを演出し、かつ鑑賞者は幸盛の兜の三日月形の鍬形によって、幸盛が見つめている月の姿を想像できる、という作りになっている。また、宝井其角の句を元に、月明かりに映る松の枝影のみを描いた「名月や畳の上に松の影」(5) や、『平家物語』を題材に、鵺退治を果たした源頼政が褒賞として名刀獅子王を受け取る際、下賜役の藤原頼長の詠句に対して頼政が月を詠み込んだ当意即妙の下の句を継いで人々を感心させたという逸話を描いた「頼政」(57) なども、画面外の月を鑑賞者に想像させ広がりを持たせる構成を採っている。 本来は複数の人物が登場する歴史・伝説上の場面において、敢えて特定の人物のみを描いた構図も特徴的である。例えば、京都五条大橋における牛若丸と弁慶の出会いを描いた「五条橋の月」(60) では、宙を舞い扇を投げつける牛若丸のみを配置し、弁慶を描いていない。「足柄山月」(74) でも、源義光が笙の秘曲を伝授する相手である豊原時秋を描いていない。赤穂浪士の討ち入りを描いた「雪後の暁月」(89) では、敢えて吉良家臣小林平八郎の奮戦する姿に焦点を当て、画面から切れた平八郎の刀の先に浪士達がいることを想像させる構図となっている。 全体として、画面全体を隙間なく埋める多くの錦絵とは異なり、余白を多く取った空間表現が用いられている。画面には静謐な雰囲気が漂い、無残絵や荒々しい武者絵で知られた初期の芳年とは対照的な作風を示している。
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