異種百人一首とは? わかりやすく解説

異種百人一首

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 05:10 UTC 版)

百人一首」の記事における「異種百人一首」の解説

小倉百人一首影響受けて後世作られ百人一首。以下に代表的なもの挙げる『新百人一首』 足利義尚撰。小倉百人一首に採られなかった歌人の作を選定しているが、91番「従二位成忠女」は小倉54番・儀同三司母高階貴子)と同一人物というミス起こっている。また、79首目の歌は恵子内親王の歌となっているが、実際に徽子女王の歌である。その他、『百人秀歌』に見え権中納言国信64番入首百人秀歌とは別の歌)している。 『武家百人一首』 同名の物が複数ある。17世紀半ば成立見られている。平安時代から室町時代にかけての武人による和歌採録寛文6年1666年)刊。榊原式部大輔忠次の撰とされるが、本自体にはその旨記述はなく、後に尾崎雅嘉が『群書一覧』で比定したものである。また寛文12年1672年)、菱川師宣挿絵和歌は東月南周の筆で再刊された。菱川師宣署名した絵入り本最初とされ、絵師菱川吉兵衛署名されている。 安政5年1858年)刊。賞月堂主人の著。1.のものと比べると、23人が別人の歌に置き換えられている。 明治42年1909年)刊。富田良穂撰。神代から幕末まで武将・大名夫人等の和歌採録『新撰武家百人一首』 18世紀成立伊達吉村撰。室町時代から江戸中期にかけての武将・大名による和歌採録している。 『後撰百人一首』 19世紀初頭成立序文によれば二条良基の撰、中院関白実の補作とするが、後者存在疑わしいため成立年代未定である。勅撰集だけでなく、『続詞花集』などの私撰集からも採録しているのが特徴『源氏百人一首』 天保10年1839年)刊。黒沢翁満編。『源氏物語』登場する人物和歌採録しているが、その数は123人。肖像入れ人物略伝和歌略注をのせる。和歌松軒由靖、絵は棔斉清福の筆。 『英雄百人一首』 天保15年1844年)刊。緑亭川柳撰。神代から室町期までの武人和歌採録『烈女百人一首』 弘化4年1847年)刊。緑亭川柳撰。英雄百人一首対し著名な女性和歌採録『続英雄百人一首』 嘉永2年1849年)刊。緑亭川柳撰。英雄百人一首続編で、平安から安土桃山時代まで武将・大名和歌採録『義烈百人一首』 嘉永3年1850年)刊。緑亭川柳撰。平安から江戸初期までの武将やその夫人等の和歌採録『女百人一首』 嘉永4年1851年成立平安鎌倉期女流歌人和歌採録『義烈回天百首』 明治7年1874年)刊。染崎延房編。幕末の志士等の和歌採録『愛国百人一首』 第二次世界大戦中昭和17年1942年)に選定・発表された。恋歌の多い小倉百人一首に代わって「愛国精神表現された」名歌採録『平成新選百人一首』 平成14年2002年)刊。小倉百人一首愛国百人一首重複しないように和歌採録明成社から歴史的かなづかい文藝春秋社から新かなづかい出版という企画巧妙『今昔秀歌百撰』 平成24年2012年)刊。小倉百人一首愛国百人一首平成新選百人一首重複しないように和歌を、一選者歌人101採録当初寄贈だけで、販売せず。 『小倉百人一首弘化3年(1846)頃 歌川国芳歌川広重三代目歌川豊国柳下亭種員

※この「異種百人一首」の解説は、「百人一首」の解説の一部です。
「異種百人一首」を含む「百人一首」の記事については、「百人一首」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「異種百人一首」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「異種百人一首」の関連用語

異種百人一首のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



異種百人一首のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの百人一首 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS