異種百人一首
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小倉百人一首の影響を受けて後世に作られた百人一首。以下に代表的なものを挙げる。 『新百人一首』 足利義尚撰。小倉百人一首に採られなかった歌人の作を選定しているが、91番「従二位成忠女」は小倉の54番・儀同三司母(高階貴子)と同一人物というミスが起こっている。また、79首目の歌は恵子内親王の歌となっているが、実際には徽子女王の歌である。その他、『百人秀歌』に見える権中納言国信も64番に入首(百人秀歌とは別の歌)している。 『武家百人一首』 同名の物が複数ある。17世紀半ばの成立と見られている。平安時代から室町時代にかけての武人による和歌を採録。寛文6年(1666年)刊。榊原式部大輔忠次の撰とされるが、本自体にはその旨の記述はなく、後に尾崎雅嘉が『群書一覧』で比定したものである。また寛文12年(1672年)、菱川師宣の挿絵、和歌は東月南周の筆で再刊された。菱川師宣の署名した絵入り本の最初とされ、絵師菱川吉兵衛と署名されている。 安政5年(1858年)刊。賞月堂主人の著。1.のものと比べると、23人が別人の歌に置き換えられている。 明治42年(1909年)刊。富田良穂撰。神代から幕末までの武将・大名・夫人等の和歌を採録。 『新撰武家百人一首』 18世紀成立。伊達吉村撰。室町時代から江戸中期にかけての武将・大名による和歌を採録している。 『後撰百人一首』 19世紀初頭に成立。序文によれば二条良基の撰、中院関白顕実の補作とするが、後者の存在が疑わしいため成立年代は未定である。勅撰集だけでなく、『続詞花集』などの私撰集からも採録しているのが特徴。 『源氏百人一首』 天保10年(1839年)刊。黒沢翁満編。『源氏物語』に登場する人物の和歌を採録しているが、その数は123人。肖像を入れ、人物略伝、和歌の略注をのせる。和歌は松軒由靖、絵は棔斉清福の筆。 『英雄百人一首』 天保15年(1844年)刊。緑亭川柳撰。神代から室町期までの武人の和歌を採録。 『烈女百人一首』 弘化4年(1847年)刊。緑亭川柳撰。英雄百人一首に対し、著名な女性の和歌を採録。 『続英雄百人一首』 嘉永2年(1849年)刊。緑亭川柳撰。英雄百人一首の続編で、平安から安土桃山時代までの武将・大名の和歌を採録。 『義烈百人一首』 嘉永3年(1850年)刊。緑亭川柳撰。平安から江戸初期までの武将やその夫人等の和歌を採録。 『女百人一首』 嘉永4年(1851年)成立。平安・鎌倉期の女流歌人の和歌を採録。 『義烈回天百首』 明治7年(1874年)刊。染崎延房編。幕末の志士等の和歌を採録。 『愛国百人一首』 第二次世界大戦中の昭和17年(1942年)に選定・発表された。恋歌の多い小倉百人一首に代わって「愛国の精神が表現された」名歌を採録。 『平成新選百人一首』 平成14年(2002年)刊。小倉百人一首、愛国百人一首と重複しないように和歌を採録。明成社から歴史的かなづかい、文藝春秋社から新かなづかいで出版という企画が巧妙。 『今昔秀歌百撰』 平成24年(2012年)刊。小倉百人一首、愛国百人一首、平成新選百人一首と重複しないように和歌を、一選者一歌人で101首採録。当初は寄贈だけで、販売せず。 『小倉擬百人一首』 弘化3年(1846)頃 歌川国芳・歌川広重・三代目歌川豊国画柳下亭種員筆
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