異種稽古
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 15:02 UTC 版)
弓術 弓術を28歳頃から55歳頃まで稽古した。屋外16間で稽古し、的前より巻藁を専らとして、弦目は最高4匁5分までに達し、総がけのみを心がけて、1寸1分までに至った。45歳のときにアメリカ艦隊が横浜に入港した際、「弓道対剣道」という異種試合があり、剣道側として出場した。木刀を持った博道に対し、弓道教士3人掛かりで白粉のついたタンポ矢を発射した。不利な条件であったが、袴に2ヶ所白粉が付く程度で済んだという。この経験から「飛び道具を相手にするときは体を動かすことが最大の防御手段である」と述べている。 西洋剣術 西洋剣術を研究して、1937年(昭和12年)に長男の中山善道と共著で『日本剣道と西洋剣技』を著した。 銃剣術 雖井蛙流剣術宗家の山根幸恵は海軍兵学校剣道教官時代に博道から対銃剣術の技を伝授され、その後は銃剣術を相手に苦しむことはなくなったという。 槍術 太平洋戦争中、倉敷の海軍予科練の剣道教師をしていた羽賀忠利(羽賀準一の弟)が、戦局の悪化による物資不足で海軍司令から槍術の指導を命じられ、羽賀は槍術の経験がなかったため博道のもとに2週間寄宿して槍術の指導を受けた。羽賀が突くと、博道は槍を脇と肘の関節で挟んで封じ、いくら引っ張ってもびくともしなかったという。
※この「異種稽古」の解説は、「中山博道」の解説の一部です。
「異種稽古」を含む「中山博道」の記事については、「中山博道」の概要を参照ください。
- 異種稽古のページへのリンク