生物・自然
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生物学者だった昭和天皇は、1912年4月27日に学習院初等学科5年生の授業でカエルの解剖を習った。帰宅してからもトノサマガエルの解剖を行い、観察後は死骸を箱に入れて庭に埋め、「正一位蛙大明神」の称号を与えたという。 昭和天皇は海の生物が好きであり、臣下との会話で海の生物の話題が出ると喜んだという。趣味として釣りも楽しんだ。沼津において、常陸宮正仁親王を伴って磯釣りに興じたことがある。釣った魚は研究のため、すべて食べる主義であった。終戦直後には「ナマコが食べられるのだから、ウミウシも食べられるはずだ」と、葉山御用邸で料理長にウミウシを調理させ食した(のちに「あまりおいしいものではなかった」と述べた)という。採集品については食べることはなかったともいわれ、船頭が献上した大ダイをそのまま標本にしてしまい、船頭が惜しがったというエピソードも伝わる。 1929年(昭和4年)、戦艦「長門」で和歌山県に訪問し進講を受けた南方熊楠のことを昭和天皇は後々まで忘れることがなく、その名を戦後の御製に詠んでいる。南方および弟子からは都合四回にわたって粘菌の標本の献呈を受けている。通常は桐の箱で渡される標本は森永キャラメルの大箱に入れられていたが昭和天皇はそれさえも面白がったという。 「テツギョ」というキンギョとフナの雑種とされる魚を飼育していた。のちに遺伝子分析でキンブナとリュウキンの雑種と判明した。 海洋生物学を研究する関係からか、英語よりフランス語を得意としたと伝わる。訪欧時フランスのバルビゾンのレストラン「バ・ブレオー」でエスカルゴを食べる際、その個数について「サンク(仏語で5つ)」と「3個」をかけて近習をからかったことがある。 武蔵野の自然を愛し、ゴルフ場に整備されていた吹上御苑使用を1937年(昭和12年)に停止し、一切手を加えないようにした。その結果、現在のような森が復元された。 「雑草という植物はない」と言ったとされることでも知られる。これに関連し、1984年(昭和59年)8月の取材において、雑草と言う呼称について「少し侮辱的な感じがして、どうも好まないのです」「どうもおもしろくない名前」と発言している。 2018年、生前採取していたテヅルモヅルが新種であったことが判明し、「トゲツルボソテヅルモヅル」と命名された。
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生物・自然
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:28 UTC 版)
大東諸島は、最も近い沖縄諸島からでも300km以上離れており、沖縄県の中でも孤立した島嶼群であり、海洋島であることから、多くの固有の生物が生育・生息している。また、ハブは生息していない。北大東島と南大東島の全域は、国指定大東諸島鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)に指定されている(面積4,251ha、うち特別保護地区は234ha)。これは、両島がダイトウオオコウモリやダイトウノスリなどの固有種・固有亜種の生息地となっており、コアホウドリやセイタカシギなどの繁殖地となっていることが理由である。少数のザトウクジラも、大東諸島を越冬地として利用している。 沖大東島は、長年の燐鉱採掘とその後の米軍による射爆撃訓練により、沿岸部を除き、多くの生物が喪失されたと見られている。 「ダイトウ」の名の付く生物 植物 - ダイトウビロウ、ダイトウシロダモ、ダイトウセイシボク、ダイトウワダン 動物 - ダイトウヒラタクワガタ、ダイトウヒメハルゼミ、ダイトウオオコウモリ、ダイトウノスリ、ダイトウカイツブリ、ダイトウコノハズク、ダイトウヒヨドリ、ダイトウメジロ、ダイトウウグイス(絶滅亜種)、ダイトウヤマガラ(絶滅亜種)、ダイトウミソサザイ(絶滅亜種)
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