生い立ち〜女優
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1964年(昭和39年)9月13日、東京都に生まれる。1971年(昭和46年)4月、私立淑徳小学校入学。翌1972年(昭和47年)、東京宝映テレビ・劇団フジに入団。入団まもなく、劇団フジ定期公演「青い鳥」等に出演。 1975年(昭和50年)、第29回定期公演で「強制収容所の少女」の主役シズエを演じる(大場久美子とのダブルキャスト。1977年(昭和52年)4月、私立十文字学園中学入学。1979年(昭和54年)、テレビ朝日系ドラマ『燃えろアタック』(主演は歌手の荒木由美子)へ出演。本格的なドラマデビューとなる。学校が芸能活動を許可していなかったため、2年2学期に自主退学し、板橋区立志村第一中学校に転校する。 1979年(昭和54年)、『3年B組金八先生』に「山田麗子」役で出演。役柄の「ツッパリ(=不良、非行生徒)」イメージで、人気が急上昇した。中でも同級生へのリンチシーンで仲間を仕切りながら発した「顔はやばいよ、ボディやんな、ボディを」のセリフは、三原のヤンキー性を表す代名詞になった。 1980年(昭和55年)、明治大学付属中野高等学校定時制へ入学も、2日ほどで退学。同年に歌手デビューや宮脇康之(現・宮脇健)との熱愛報道。 1982年(昭和57年)には、TAKU(横浜銀蝿)作曲の「だって・フォーリンラブ・突然」のロングヒットで、第33回NHK紅白歌合戦(歌唱曲は「だって…」と同じくTAKU作曲の「ホンキでLove me Good!!」)に出場した。 1984年(昭和59年)、20歳の誕生日を機に本名の「三原順子」から「三原じゅん子」へ改名。また、「JUNKO」というアーティスト名でハードロックのバンドを組み、ライブ活動をしていた時期もある。『金八先生』での役名「山田麗子」をそのまま用いたペンネームで先述の「だって・フォーリンラブ・突然」(横浜銀蝿との共同)などの作詞も手掛けている。 1987年(昭和62年)から1999年(平成11年)にかけては、国際B級ライセンスを取得してレーシングドライバーとしても活動。全日本ツーリングカー選手権、全日本GT選手権(現SUPER GT)、スーパー耐久、スパ・フランコルシャン24時間などのツーリングカーレースで活動し、トヨタのMR-2・カローラレビン・キャバリエ、ホンダのプレリュード・インテグラなどをドライブした。レース中の事故による骨折も7回経験しているという。2005年(平成17年)から2007年まで、二輪レースチーム「weave×MIHARA PROJECT」のオーナーの監督を務めた。
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