王立絵画学校とクリスチャニア・ボヘミアン
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「エドヴァルド・ムンク」の記事における「王立絵画学校とクリスチャニア・ボヘミアン」の解説
ムンクは父を説得し、同年(1880年)12月16日、ノルウェー王立絵画学校(現・オスロ国立芸術大学)の夜間コースに入学した。1881年8月にフリーハンド・クラス、1882年夏頃にモデル・クラスに編入した。ムンクはこの学校で健康を取り戻し、教官の彫刻家ユーリウス・ミッデルトゥーンの指導を受けた。また、同年(1882年)初め頃、友人6名とともにカール・ヨハン通りの国会広場に面して建つ「プルトステン」ビルの屋根裏にアトリエを借り、そこで画家クリスチャン・クローグの指導を受けた。ムンクは後に「私を彼の弟子の一人とみなすのはどうしても無理がある。……とはいえ、私たちはみなクローグを非常に好ましく思い、また立派な画家と考えていた。」と書いている。 同年(1882年)夏、ヘードマルク県に滞在し、同年秋にはクリスチャニア西郊をスケッチして回った。1883年秋、親類の画家フリッツ・タウロウが主催するモードゥム(英語版)野外アカデミーに参加して制作や討論を行った。これがきっかけで、クリスチャニア・ボヘミアンという当時の前衛作家・芸術家のグループと交際するようになる。この年(1883年)、彼は産業及び芸術展覧会に油絵『習作・若い女の頭部』、第2回秋季展(芸術家展)に『ストーブに火をつける少女』を出品した。さらに、1884年の秋季展(官立芸術展と改称)に『朝(ベッドの端に腰掛ける少女)』を出品したが、ノルウェー国内では酷評された。 『朝』1884年。油彩、キャンバス、96.5 × 103.5 cm。ベルゲン美術館。 一方、フリッツ・タウロウはムンクの才能を認めており、ムンクにパリのサロンを見学する機会を提供したいと同年(1884年)3月、父クリスティアンに支援を申し出ている。ムンクの病気のためパリ行きはいったん延期されたものの、1885年5月に友人の画家エイヨルフ・ソート(英語版)とともにパリに向かった。そこでサロンとルーヴル美術館に通い詰め、エドゥアール・マネの多くの作品に接して、色彩の表現や、画面の中の一点を強調する技法を学んだ。他方、サロンで尊敬を集めているアカデミズム絵画のブグローについては「ブルジョア連中の関心を引いていたにすぎない」と切り捨てている。この年の秋季展には『画家カール・イェンセン=イェル像』を出品したがこれも酷評された。 同年(1885年)4月、ムンク一家はスカウ広場に面した建物に移った。ムンクはここで『春』『思春期』(第1作)『病める子(英語版)』『その翌朝』を描いた。亡くなった母や姉を重ね合わせた『病める子』は1年近くかけて描き上げたもので、1886年の秋季展に出展したが、これも保守系日刊紙『モルゲンブラーデ』から「当然必要な下塗りさえしていない」「近づけば近づくほど、何が何やら分からなくなり、しまいには雑多な色の斑点だけになってしまう」と書かれるなど激しく攻撃された。ムンクは後に『病める子』について、新しい道を切り開いた作品だと位置付けつつ「ノルウェーではこれほどスキャンダルを巻き起こした絵はない」と自ら記し、展覧会初日の会場で、哄笑や非難の声が聞こえてきたことを振り返っている。唯一クリスチャン・クローグだけは『病める子』を弁護してくれて、ムンクはこの絵をクローグに贈った。 この頃、クリスチャニア・ボヘミアンのリーダー格であるアナーキスト作家のハンス・イェーゲルと知り合った。伝統的なキリスト教的道徳に公然と異を唱え、自由恋愛主義を訴えるイェーゲルに、当時のクリスチャニアの若者たちが熱狂したのと同様、ムンクもその信奉者となった。ムンクにとってボヘミアン時代は、霊感と活気を与えてくれる時代であったが、同時に独断主義的なボヘミアンのメンバーに対して「反吐の出そうな馬鹿者」と嫌悪感を表してもいる。また、ムンクは1885年から数年間、人妻ミリー・タウロウとの禁じられた恋愛に陥り、苦しい思いをした。 『病める子』1885-86年。油彩、キャンバス、120 × 118.5 cm。オスロ国立美術館。 1888年秋、ムンクはクリスチャニア南西の海辺の村オースゴールストランを訪れ『郵便船の到着』などの写生的な油絵を描いた。1889年初頭に重病を患い、回復途中に『春』を描いた。これはこの時期の最高傑作とされる。同年5月9日からカール・ヨハン通りの学生協会の小ホールに『ハンス・イェーゲル像』『春』などの自作110点を並べる個展を開催した。当時のノルウェーでは、個展というものが開催されること自体が初めての試みであった。 『春』1889年。油彩、キャンバス、169.5 × 264.2 cm。オスロ国立美術館。 『浜辺のインゲル(英語版)(夏の夜)』1889年。油彩、キャンバス、126 × 161 cm。ベルゲン美術館。
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