王立調査委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:30 UTC 版)
「ニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故」の記事における「王立調査委員会」の解説
事故直前の様子から、乗員たちは「海上を飛んでいる」と誤解していた可能性がある。事故調査報告書でもブリーフィング時点の地図によりミスリードが生まれた可能性を指摘している。それにもかかわらず、同報告書では「ブリーフィングで示された飛行計画の誤りが、事故機の乗員をミスリードしたことを示す証拠はない」とも述べている。そして、事故原因をパイロットの不適切な判断と結論したことに対し、ニュージーランドの民間航空機パイロット協会 (New Zealand Airline Pilots Association; NZALPA) などから批判が集まった。そして、その批判はニュージーランド航空やニュージーランド運輸省に向けられた。 最低安全高度の捉え方も議論となった。事前の教育訓練では、エレバス山を超えるための16,000フィート(約4,900メートル)と6,000(約1,800メートル)という2つの高度が基準とされた。事故機はこれらの制限を守らず降下したという考えがある一方で、有視界飛行による降下自体は許容範囲とする考えもあり、南極飛行を経験したパイロットの間でも意見が分かれた。ニュージーランド航空は低高度での旋回飛行を南極観光飛行の見せ所としていた。これまでの観光飛行で低空飛行が繰り返されていたにも拘らず当局による指導もなかった。 事故関係者の間では論争が続き、公的な調査が必要とされた。ニュージーランドの司法長官は王立調査委員会の設置を決め、4月21日に高等法院判事のピーター・マホンが委員長に指名された。 1980年7月7日から王立調査委員会の調査は始まり、様々な関係者から証言を集めた。その中にはニュージーランド航空の従業員、運輸省や気象局の職員、乗員の家族、そして先の事故調査委員長のチッピンデールも含まれていた。マホンらは調査のためアメリカやイギリスにも渡航したほか、南極の墜落現場やマクマード基地での現地調査も行った。 王立調査委員会の報告書では、一般的に事故の背景には複数の要因が存在すると述べた上で、本事故に至った要因として次の10項目を挙げた。 機長は航法システムを完全に信頼していた。DC-10で彼が飛行した2,872時間において、AINSは極めて正確に動作していた。 路線訓練および当日朝のブリーフィングのいずれでも飛行経路と地形が同時に示された地図が機長に示されなかった。 飛行前夜に機長は自ら地図上に飛行経路をプロットしていた。 飛行経路の最終到達地点は出発の6時間前に訂正されていた。 機長も他の乗員も経路変更について知らされていなかった。 乗員はバレニー諸島とケープ・ハレット通過時に座標確認を行なっており、AINSは非常に正確に動作していた。 マック・センターは、TE901便の最終到達地点がマクマードの27マイル(約43キロメートル)西だと認識していた。そして、マクマード入江(英語版)(訳注:マクマード基地西側にある小湾)上空から低空で進入してくると考えていた。 マックセンターはTE901便にマクマード入江で1,500フィート(約460メートル)まで降下するよう勧めていた。その高度であれば視程が40マイル(約64キロメートル)以上あったためである。 機長はこの勧めを受け入れて降下を決断した。 ルイス湾(訳注:ロス島北側にある湾)上空のどんよりした雲の状況および雪に覆われた地形の白さが組み合わさり、ホワイトアウト現象を生み出した。 そして、報告書ではこれらの1つでも欠けていれば事故は起きなかっただろうとしている。その上で主要な事故原因として「航空会社が乗員に知らせずに飛行計画を修正していたこと」と結論づけた。報告書は、この行為を行った担当者個人の問題というより航空会社の不適切な管理手順が事故につながったと続けている。さらに、報告書の別の部分では事故の隠れた要因 (Latent Failure) は航空会社と関係当局の安全に対する姿勢にあると言及した。
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