バレニー諸島とは? わかりやすく解説

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バレニー‐しょとう〔‐シヨタウ〕【バレニー諸島】

読み方:ばれにーしょとう

Balleny Islands南極大陸ビクトリアランド沖、南極海に浮かぶ諸島南緯67度、東経163度を中心に北西から南東にかけて、ヤング島、バックル島、スタージュ島などの火山性島々点在する1839年英国エンダービー社の捕鯨船の船長ジョン=バレニーにより発見アデリーペンギンヒゲペンギンユキドリなどの繁殖地がある。特にサブリナ島は南極環流位置する海洋性の島であり、南極条約による特別保護地地区指定されている。


バレニー諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 14:46 UTC 版)

バレニー諸島
所在海域 ロス海南極海
座標 南緯66度55分 東経163度20分 / 南緯66.917度 東経163.333度 / -66.917; 163.333座標: 南緯66度55分 東経163度20分 / 南緯66.917度 東経163.333度 / -66.917; 163.333
面積 400 km²
最高標高 1,705 m
最高峰 ブラウン・ピーク
バレニー諸島 (南極大陸)
プロジェクト 地形
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バレニー諸島英語: Balleny Islands)は、南極海にある諸島ロス海域北端部[1]南極線(南緯66度33分)付近にある無人の火山島群である。

1839年、イギリスの捕鯨船長ジョン・バレニーによって発見された[2]南極探検史上、南極圏で最初に人類が上陸した陸地である[3]南極環流のただ中に位置する海洋性の島であることから、海鳥や海獣の貴重な休息地・繁殖地となっており[1]、諸島に含まれるサブリナ島は南極特別保護地区 (Antarctic Specially Protected Areaに指定されている。

地理

バレニー諸島
サブリナ島のモノリス

位置・広がり

南極大陸東部(東南極)・オーツランドにある Cape Kinsey の北北東約240kmに位置する[2]。3つの大きな島と、2つの小さな島[2]、および露岩からなっている。厚い氷河に覆われた火山島で[2]、北西 - 南東方向に約160kmにわたって広がっている[2]。諸島の面積は400 km2。諸島の最高地点はスタージ島のブラウン・ピーク (Brown Peak (Sturge Island)で、標高は1,705 mである[4](ただしこれはアメリカによる数値であり[5]、ニュージーランドの数値によれば 1,524 mとされる[6])。

主要3島は、北西から順に以下のとおり。

バックル島の南にサブリナ島 (Sabrina Island、ヤング島の南にボラデール島 (Borradaile Islandがある。ボラデール島には南極線(南緯66度33分)が通過している。

領有権主張

ニュージーランドが「ロス海属領」の一部として領有権を主張している。

歴史

1839年: バレニーによる発見と上陸

バレニー諸島の位置。ニュージーランドのほぼ南にある。
南極大陸とバレニー諸島

1839年2月9日イギリス・エンダービー社 (Samuel Enderby & Sonsの捕鯨船長ジョン・バレニー (John Ballenyによってこの諸島は発見された[3]。バレニーは、エンダービー社のチャールズ・エンダービー (Charles Enderbyらの出資を受けて、1838年から1839年にかけて南極海の探検航海を行ったスクーナー「エリザ・スコット号」 Eliza Scott の船長である。

バレニーの「エリザ・スコット号」は、トーマス・フリーマン(Thomas Freeman)が船長を務めるカッター「サブリナ号」 Sabrina とともに、ニュージーランドからキャンベル島を経由して南極海に入った[7]。しかし海氷に進路を阻まれ、2月1日に 南緯69度00分 東経172度11分 / 南緯69.000度 東経172.183度 / -69.000; 172.183を最南到達点として、霧の中で北西に進むことを余儀なくされる[7]。2月9日午前11時30分、バレニーはこの諸島を発見する[7]

2月11日、トーマス・フリーマンがこの諸島のいずれかの島に、短時間ながら上陸した[3]。この島はおそらくボラデール島であり[3]、これによって南極圏内にはじめて人類が上陸したと考えられる[3](南極への上陸は1820年頃に南極半島付近で行われているが、これらは南極線以北である)。

「ヤング島」「ボラデール島」「バックル島」「スタージ島」「ブラウン・ピーク」などはバレニーによる命名で、いずれも探検航海に共同出資した商人たちの名である[3]。「バレニー諸島」という名は、バレニーの功績を讃え、イギリス海軍水路部長官 (Hydrographer of the Navyフランシス・ボーフォートによって命名された[2]。「サブリナ島」の名は、この探検隊のカッターの名にちなんでいる[8]

なお、この諸島の発見後バレニーらは西へ航海を行い、3月2日に 南緯64度58分 東経121度08分 / 南緯64.967度 東経121.133度 / -64.967; 121.133の位置で[7]、東経117度付近にある南方の陸地[9]をわずかな時間望見する。ウィルクスランドの一部にあたるこの海岸は、サブリナ海岸と呼ばれることになる。

発見以後

バレニーに次いでこの諸島を目にしたのは、1841年のジェームズ・クラーク・ロスである。ロスは、バレニーがもたらした情報から、東経170度から180度経線にかけての南極地域の探検を決意したのであった[7]。1841年3月上旬、ロス海を発見することになる航海の途次にロスはこの諸島を見、諸島の沖合で4日間を過ごした[3]。その後、この諸島は1850年代に2度望見されたあと(2度目のものは1853年にマーケイター・クーパーが南極からの帰途視認したものである)、1894年まで記録が途絶える[3]

南極探検の「英雄時代」 (Heroic Age of Antarctic Explorationに入ると、ロス海から南極大陸を目指したカルステン・ボルフグレヴィンク (Carsten Borchgrevink(1899年)や、ロバート・スコット(1904年)などがこの諸島を望見している[3]

1936年、英国海軍の調査船ディスカバリー2世号 (RRS Discovery IIが立ち寄り、この諸島の調査を試みたが、上陸は断念されている[3]。第二次世界大戦後の1948年1月、アメリカ海軍のハイジャンプ作戦により、島の空撮が行われた[3]。1948年2月29日、オーストラリアの調査隊がボラデール島に上陸し、記録に残る限りフリーマン以来約110年ぶりとなる、史上二番目の諸島への上陸者となった[3]

以後、フランスソビエト連邦ニュージーランドアメリカ合衆国など、各国の調査隊が諸島を訪れ、上陸・調査を行っている[3]1966年南極条約協議国会議の勧告IV-4により、サブリナ島は南極特別保護地区に指定された[1]

自然環境・生態系

バレニー諸島では、アデリーペンギンヒゲペンギンギンフルマカモメナンキョクフルマカモメ英語版マダラフルマカモメユキドリの繁殖が確認されている[1]ブーベ島ピョートル1世島の間の経度264度の範囲では、ヒゲペンギンの唯一の繁殖地である[1]。また、アデリーペンギンとヒゲペンギンの繁殖域が共存しているのは貴重である[1]

上記の他、バレニー諸島で生息が記録されている鳥類・アザラシ類は以下の通り[1]

鳥類
ナンキョククジラドリ英語版ナンキョクアジサシ英語版マユグロアホウドリハイガシラアホウドリハイイロアホウドリハイイロミズナギドリマカロニペンギンミナミオオトウゾクカモメ英語版ワタリアホウドリノドジロクロミズナギドリ英語版アシナガウミツバメ
アザラシ
カニクイアザラシゾウアザラシヒョウアザラシウェッデルアザラシ

とくにサブリナ島には、諸島内で最も大きなアデリーペンギンのコロニーがあり、また諸島のヒゲペンギンのつがいの大半が生息している[1]。「ロス海域で最も北にある南極の陸地としてのバレニー諸島は、この緯度における数多くの周極分布を反映する動植物を維持し、特にサブリナ島はそのような動植物の代表的な試料をもたらす」[1]として、サブリナ島とその近傍にある「ヒゲペンギン小島」が、南極特別保護地区(ASPA No.104. 日本の南極地域の環境の保護に関する法律施行規則では「第四南極特別保護地区」)に指定されている。

脚注

関連項目

外部リンク




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