1840年: デュルヴィルとウィルクスの航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/23 17:39 UTC 版)
「ウィルクスランド」の記事における「1840年: デュルヴィルとウィルクスの航海」の解説
フランス海軍のジュール・デュモン・デュルヴィルは、1837年以降「アストロラーベ」 (French ship Astrolabe (1811)) で南極探検を行っていた。1840年1月、タスマニア島のホバートから南下したデュルヴィルは、南極大陸沿岸に到達し、海岸や周辺の島を発見している。デュルヴィルは発見した海岸に対して、アデリー海岸、クラリー海岸 (Clarie Coast) などの命名をおこなった。アデリーはデュルヴィルの妻、クラリーはデュルヴィル隊の第二船の艦長 Charles Jacquinot の妻の名である。アデリー海岸沖合のデュムラン諸島 (Dumoulin Islands) やポイント・ジオロジー群島 (Géologie Archipelago) はこの時の発見で、デュルヴィル隊はデュムラン諸島の島の一つに上陸している。アデリー海岸が面した海域には、デュルヴィル海 (D'Urville Sea) の名が付けられている。 アメリカ合衆国探検遠征隊(1832年 - 1842年)を率いて南アメリカ大陸やオセアニアの探検を行っていたアメリカ海軍のチャールズ・ウィルクスは、シドニーを南方航海の拠点とし、1839年12月に「ヴィンセンス」を旗艦として、オーストラリア大陸南方の南極海の探検に出発した。1840年1月25日、ウィルクスはバレニー諸島の西において「南極大陸」を発見したと報告している。ウィルクスは、2月中旬にかけて南極の大陸縁辺を2400km以上にわたって探索し、南極が大陸であることの証拠を提供した。ノックス海岸、バッド海岸の名称は、ウィルクス隊に加わっていた艦長たちの名である。「ウィルクスランド」の名称は、このウィルクスの功績によるものである。ただし、ウィルクスが発見したと考えた海岸は、のちの調査によって実際にははるかに南に位置していることが判明している。
※この「1840年: デュルヴィルとウィルクスの航海」の解説は、「ウィルクスランド」の解説の一部です。
「1840年: デュルヴィルとウィルクスの航海」を含む「ウィルクスランド」の記事については、「ウィルクスランド」の概要を参照ください。
- 1840年: デュルヴィルとウィルクスの航海のページへのリンク