到達と探検
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:09 UTC 版)
様々な機関(例えばアメリカ国立科学財団 、アメリカ航空宇宙局、カリフォルニア大学サンディエゴ校など)は、南極大陸上陸は3人の船長が率いた船によって成されたという。 南極大陸は1820年1月28日にエストニア出身のロシア帝国海軍(英語版)タデウス・ベリングスハウゼンとミハイル・ラザレフが率いるロシアの遠征隊によって発見された。彼らはスループでボストークとミルニーが棚氷に近づき、氷に覆われた土地を発見した。記録された最初の上陸は、1821年2月7日にアメリカ人アザラシ猟師ジョン・デイビス(英語版)と言われる。 1840年1月22日、バレニー諸島西岸を発見した2日後、3年前からジュール・デュモン・デュルヴィルの冒険に同行していたメンバーらが、アデリーランドのジオデシー岬(英語版)沖約4kmにあるデュムラン諸島(英語版)内の最も標高が高い小島に上陸した。ここで彼らは鉱物や藻類および動物のサンプルを得た。 1839年12月には、アメリカ海軍が実施した1838-42年のアメリカ合衆国探検遠征隊の調査("Ex. Ex.",または"the Wilkes Expedition"とも呼ばれる)がオーストラリアのシドニーから出発し、南氷洋を渡って翌年1月25日にはバレニー諸島西岸を発見した。当時、この場所はウィルクスランドと命名された。 探検家ジェイムズ・クラーク・ロスは、1841年に現在ロス海と呼ばれる海域を通過し、ロス島を発見した。これらには彼の姓が冠された。彼が淵に沿って航行した巨大な氷の壁はロス棚氷と呼ばれる。エレバス山とテラー山は、それぞれ彼の一行が乗っていた2隻の船(エレバス(英語版)とテラー(英語版))に由来する。1853年1月26日にはマーケイター・クーパーが東南極に到達した。 アーネスト・シャクルトンが率いた1907年のニムロデ探査において、エッジワース・デイヴィッド(英語版)の隊は初めてエレバス山を登頂し、南磁極に到達した。ダグラス・モーソンは危険な帰路から生還し、その後も1931年に引退するまで様々な探検を続けた。シャクルトン自身も他のメンバー3人を従え、1908年12月に数々の未踏の地を探検し、1909年2月にはロス棚氷を横断、バードモア氷河を渡って南極横断山脈を越え、そして南極高原に到達した。 「ロアール・アムンセン」および「ロバート・スコット」を参照 ノルウェー人探検家ロアール・アムンセンの隊がフラム号を出発しクジラ湾からアクセルハイベルグ氷河(英語版)を遡上するルートで南極点を目指し、1911年12月14日に彼らは到達を成し遂げた。テラ・ノヴァ号探検隊のロバート・スコット一行が南極点に到達したのは、彼らに遅れる事1ヶ月だった。 1930年代から40年代にかけて、リチャード・バードは飛行機による南極飛行を数度行った。彼は、南極大陸の通行手段を確立し、大規模な地質学的および生物学的調査を実施したことで知られる。しかし、1956年10月31日にジョージ・J・ドゥフェク(英語版)率いるアメリカ海軍のグループが航空機で南極点に降り立つまで、訪れる者はいない空白期間があった。 単独で南極大陸に到達した初めての人物はニュージーランド人のデヴィッド・ヘンリー・ルイス(英語版)であり、彼は「アイス・バード」と名づけた10mサイズの鉄製スループでこれを成し遂げた。
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