状況証拠とは何か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/29 05:55 UTC 版)
「状況証拠が事実認定の結論に結びつくか否かは推論に依存する。」という命題の意味を、被告人Aが窃盗罪の訴因で起訴された事件(右図)を例にとって説明する。訴因は「被告人Aは、y年m月d日午後1時25分頃、S駅付近で被害者Vの財布を盗んだ。」というものであるとしよう。本件で、検察側が立証しなければならない事実(要証事実(ようしょうじじつ))は、以下の二つに分解することができる。 Vがy年m月d日午後1時25分頃にS駅付近で財布を盗まれたこと Vの財布を盗んだ者はAであること Vが次のとおり供述していると仮定する。 y年m月d日、私はS駅近くのデパートに出かけるために午後1時23分S駅着の電車に乗りました。電車は時刻表どおりにS駅に着きました。私はS駅の東改札口を出て駅前広場を横切り、駅前交差点で歩行者用信号が青色に変わるのを待っていました。そのとき、私は右肩にトートバッグを掛け、バッグの中に財布、化粧道具、携帯電話などを入れていました。私は、ふと右下の方を見ました。(どうして?)足下で猫が鳴いたような気がしたのです。すると、私のバッグの中に誰かが手を入れているのが見えました。私は余りに驚いたので、助けを求めることも逃げることもできませんでしたし、誰かが私の背後にいると思いましたが、振り返ることもできませんでした。何秒か経った後、誰かは私のバッグから手を抜きました。私は誰かの手が私の財布を持っているのを見ましたが、それでも余りに怖かったので、誰かの手をじっと見ていただけでした。(誰かの服の袖の色は?肌の色は?)ぜんぜん思い出せません。…… この証言が信用できるときは、第1の要証事実(盗難の発生)が真実であることが直接的に支持される。即ち、何か別の証拠や推論を必要とはしない。このような証言は直接証拠と呼ばれる。 これに対して、第2の要証事実(犯人=A)については目撃者が判明しなかった。それでも「あの男が女物の財布を持ってる。泥棒じゃない?」と氏名不明の女性に話しかけられた警察官が、挙動不審に見えた中年男性Aを駅前広場で所持品検査し(午後1時26分検査開始)、Vの学生証などが入った財布を発見したので駅前交番でAに事情聴取していたところ、Vが来署して財布の盗難を届け出たため、警察官はAを逮捕したという経過はあったと仮定する。以上の経過は、捜査報告書に記載されている。つまり、次の事実が認められる。 Vが被害に遭った直後に、被害場所の直近で、AがVの財布を所持していたこと このような事実(被害品の近接所持)は、第2の要証事実と等価ではないが、「財布は自力で動かないのに、Vが盗まれた財布をAが所持しているのだから、財布を盗んだ犯人はAのはずだ。」というような推論を併せると、第2の要証事実が真実であることを間接的に支持することができる。このような事実を間接事実(かんせつじじつ)という。状況証拠とは、間接事実の根拠となる証拠(上記の捜査報告書)、あるいは間接事実そのもののことである。状況証拠が要証事実の認定に役立つか否かは,間接事実に結びつけられた推論の妥当性に左右されるので、「状況証拠が事実認定の結論に結びつくか否かは推論に依存する。」と言われる。 間接事実は、それ自体が複数の説明を許容する。例えば、Aが次のとおり供述していると仮定する。 俺は駅前で女の子を眺めて暇を潰してた。そしたら名前を知らない女が突然近寄ってきて、「これあげる。」と言いながら俺の手に何かを握らせたんだ。(そんな奇妙なことをされたらすぐに気付くでしょう?)いや、何を持たされたかすぐには分からなかったな。俺は女の顔とか胸に興味があったからな。女はすぐにどっか行った。(その女性の服装や顔立ちは?)覚えてねえよ。(本当に?)嘘だって言うんなら証拠出せよ。女が見えなくなってから手を見たら、財布があったんだよ。その瞬間だ、お巡りの野郎が近寄って来やがったのは。…… Aは第三者からVの財布を貰ったのだとすれば(第三者の介在)、第2の要証事実が真実か否かは怪しくなる。このように間接事実から要証事実を推論することを妨げる事実を消極的間接事実(しょうきょくてきかんせつじじつ)といい、消極的間接事実との対比を強調したいときは、通常の(要証事実の存在を間接的に支持する)間接事実を積極的間接事実(せっきょくてきかんせつじじつ)ということがある。Aの供述は、第三者の介在という消極的間接事実の根拠となる状況証拠である。 ある証拠が直接証拠であるか状況証拠であるかは、何を要証事実と設定するかによって変わり得る。上記の捜査報告書は、要証事実を犯人=Aと設定すれば上で説明したとおり状況証拠であるが、要証事実を被害品の近接所持と設定すれば、記載内容が信用できれば被害品の近接所持を直接的に支持できるのであるから、直接証拠である。上記のAの供述も、要証事実を犯人=Aと設定すれば状況証拠であるが、要証事実を第三者の介在と設定すれば直接証拠である。このように、証拠が直接証拠であるか状況証拠であるかは、結論が自明であるか否かで決まるのではなく、推論が必要であるか否かによって決まる。 証拠とそこから認定される事実との関係(証拠構造(しょうここうぞう))を図示すると、末端には何らかの直接証拠が現れる(直接証拠が現れないと、無限に推論の連鎖が続いてしまう。)。そして、直接証拠についても、その信用性を高め又は低める事実(補助事実(ほじょじじつ))や証拠(補助証拠(ほじょしょうこ))を想定することができる。積極的、消極的の別も、間接事実と同様に考えることができる。上記の訴因を例に取ると、次のようなWの供述から認定できる事実(Vの側から離れた人物が男性だった可能性が高いこと)が、Aの供述の消極的補助事実となる(Vの供述の積極的補助事実ともなる。)。 Vの背後で男が信号待ちをしているように見えました。(男性で間違いない?)特に注目していたわけではありませんし、遠目だったので自信はありませんが、一見して女性と分かる格好ではなかったと思います。その男は、急に向きを変えてS駅方向へ歩いて行きました。それから何秒か経ったでしょうか。Vがその場に座り込みましたので、私はVが熱射病にでもかかったのかと思って慌てて駆け寄りました。Vは「お財布……」と言いながらしくしく泣いていましたので、私は、Vがさっきの男に財布を盗まれたのだと思いました。それで、私は「大丈夫よ。私と一緒に交番に行きましょう?」と声を掛けて、Vを駅前交番に連れて行ったのです。…… これは補助証拠が直接証拠である例であるが、もちろん、補助証拠が状況証拠である例もある。例えば、「Vが財布に入れていたクレジットカードがA及びVが交番にいる時間帯に使用されたこと」がカード会社の報告により判明したとすれば、「カードは自力で動かないのに、A及びVの下から離れたのだから、Aより前に財布に触れた者がいたはずだ。」というような推論を併せると、Aの供述が真実であることを間接的に支持することができる。すなわち、カード会社の報告はAの供述の積極的補助証拠となる状況証拠である。 直接証拠がそれ自身に補助事実を内包することはある。しかし、直接証拠がそれ自身のみで信用性を担保されると安易に考えれば、事実認定を誤る危険性が高まる。直接証拠の信用性を考える際には、補助事実や補助証拠の収集、検討(いわゆる「裏付け」ないし「裏取り」)が不可欠である。
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