特撮・美術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 14:10 UTC 版)
本作は、それまで「特殊技術」との名目のみだった円谷英二に特技監督の役職が冠せられた。有川貞昌は『ゴジラ』での成功で、それまで本編の添え物的扱いだった「特撮班」が、ようやく正当な待遇を受けられるようになったと述懐しており、これはその一環である。[要出典] 前作『ゴジラ』では、東宝内に特撮用ステージが無く、狭いスタジオに工夫を重ねてセットを組んでいたが、本作ではこれも前作での成功を受け、特撮用に「第8ステージ」が新設されていて、このステージ一杯に、1/25スケールの大阪市街のミニチュアセットが組まれた。大阪湾・大阪市役所・淀屋橋・北浜・大坂城と、各名所でロケハンが行われ、実景写真に合わせた精巧なミニチュアが作られた。本編班の実景ロケは朝日放送前でも行われ、特撮班もこれに立ち会っている。前作ではビルの窓に本物のガラスを用いて苦労したため、本作品では顕微鏡のプレパラートに用いるスライドガラスを用いたが、こちらは小さすぎて苦労したという。大阪市庁舎のミニチュアは、当時学生であった成田亨が手掛けており、上部をもろく作っておくことでねじれるように壊れていくという工夫がなされた。 高さ約2メートルの大坂城のミニチュアは50万円(当時)かけて、約1か月で作られた。丈夫に作り過ぎて、本番でゴジラが体当たりしてもうまく崩れてくれず、NGとなった。続いて改修し、裏からワイヤーで引っ張って壊れる算段としたが、スタッフがゴジラの襲撃前にタイミングを勘違いしてワイヤーを引いて壊してしまった。結局、半壊したミニチュアを2日間かけて修理し、再度撮影を行っている。だが、取材陣はこのアクシデントに大喜びして報道した。怪我の功名で宣伝は大成功だった。 クライマックスの氷山は、オープンセットに高さ10メートルのものが作られた。撮影時期は真冬ではあるが、本物の氷が製氷業者から200トン分運び込まれ、借りてきたベルトコンベアーで細かく粉砕したものを敷き詰めている。さらにゴジラが氷に埋まるシーンでは、後楽園遊園地のスケートリンクから借りた製氷器で作った氷雪が使われた。このシーンではセットの下にいた開米栄三が生き埋めになったが大した怪我はなかった。 円谷英二の長男・一が前作に続き、撮影助手として特撮班に加わっている。学習院大学理学部物理科生という経歴から、父の英二から「特撮に使えるいい素材は無いか」とつねづね相談されていた一は、ガラスを特殊コーティングした「ハーフミラー」を創案。特技監督の英二によって、合成画面に使用されて効果をあげている。 ゴジラとアンギラスとの格闘シーンは、当初4倍の高速度撮影(スローモーション)で撮る予定だったが、撮影助手が撮影速度のコマ数設定つまみを間違えて、微速度撮影(コマ落とし)にするミスをしてしまい、異様に素早い怪獣の動きとなったフィルムが編集で上がってきた。ところが円谷英二はこの素早さが野獣の格闘らしいと面白がり、コマ落としの手法のまま両怪獣の撮影が進められた。この手法は以後の怪獣映画作品でも取り入れられた。戦いの描写は、闘犬を参考にしている。 特撮の現場を見学していた土屋嘉男によれば、ゴジラとアンギラスが水中で戦うシーンでは、2体が激しく格闘していたところにプールへ電気が流れ、両者が感電する事故があったという。 大阪のシーンはナイトシーンとしても暗い画面になっており、川北紘一は着ぐるみによる演技を隠す意図のほか、フランス映画の影響を受けてコントラストを少なくしているものと推測している。書籍『ゴジラ来襲』では灯火管制下の戦いにリアリティを与えていると評価しているが、書籍『ゴジラ大辞典』では画面の暗さを本作品の難点に挙げている。 神子島のシーンで偵察機からの俯瞰のゴジラは30cmのゼンマイ人形が作られた。撮影中に中島春雄は同じ型から人形を作成・着色し現在も自宅に飾っている。 パイロットを主人公としていることから空撮シーンが多いが、飛行機からの空撮は円谷英二が自ら行った。
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