分社時代の棲み分け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:32 UTC 版)
映画制作は東宝撮影所の制作部門が独立した東宝映画が手掛け、東宝映像はCMやイベント映像などを手掛けるというかたちで棲み分けていたが、特撮作品のみはゴジラシリーズの生みの親である田中友幸が社長を務めていた東宝映像が制作していた。田中が東宝映画の社長に就任して以降は、特撮映画も同社で制作されるようになった。 特殊美術スタッフの小村完によれば、当初特殊美術スタッフは東宝映像に入る予定であったが、特殊技術課係長であった浅井正勝の鶴の一声によって破談となり、東宝美術に特殊美術課として編入されるに至った。特撮美術課長を務めた青木利郎によれば、東宝側は特殊美術スタッフにも一般映画を兼任させようとしていたが、技術の衰退を懸念した青木や井上泰幸らは特撮専門チームの存続を主張し、特殊美術課として継続するに至ったという。 東宝映像カメラマンの桜井景一によれば、以前は倉庫から取り出してくるだけであったミニチュアが、独立採算制となった結果、ミニチュアを管理する東宝美術から映像を制作する東宝映像に数万円請求されるようになったため使いづらくなったと証言している。
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