コスモプロの設立
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1975年(昭和50年)、香港ショウ・ブラザーズの招きを受け、エキスプロを退社。1972年に造形会社「ツエニー」を立ち上げた村瀬継蔵とともに香港に赴任し、チャイ・ランプロデューサーのもと、『中国超人インフラマン』(ホア・シャン監督)、『蛇王子』(ロー・チェン監督)、『透明人間』などの特撮美術を担当。その後、同じくエキスプロを退社した藤崎幸雄らとともに造形会社「コスモプロダクション」を設立。 テレビ作品では、東映の特撮ドラマ『宇宙鉄人キョーダイン』(毎日放送)の特撮美術を担当。 1976年(昭和51年)、ショウ・ブラザーズ初の怪獣映画『北京原人の逆襲』(ホー・メンホア監督)で、「コスモプロ」名義で美術参加。 1978年(昭和53年)、東映京都の特撮映画『宇宙からのメッセージ』(深作欣二監督)で美術監督、またコスモプロで『宇宙からのメッセージ・銀河大戦』(NET)の美術を担当。 1979年(昭和54年)、東映の『新・仮面ライダー』(毎日放送)でコスモプロに迎えた高橋章と組み、4年ぶりに復活した仮面ライダーの美術全般を手掛ける。 1980年(昭和55年)、『仮面ライダースーパー1』(毎日放送)を担当。 同年、造形会社の枠を超え、コスモプロで『Xボンバー』(フジテレビ系)を自社制作。マリオネット形式の本格的特撮スペースオペラの総監督を務め、美術造形から、マットペイント作画、ドラマ・特撮演出も任じている。高橋と組んだ精巧なミニチュア特撮とキャラクター造形は、英国他海外でも高い評価を受けている。 以後もテレビドラマ、映画、CMなどで活躍。 1989年(平成元年)、丹波企画 / 松竹富士の『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』(丹波哲郎監督)で美術監督を務める。 2000年(平成12年)、コスモプロを解散。以降、主に上海を拠点にインテリアデザイナーや油絵画家として活躍していた。
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