コスモプロの設立とは? わかりやすく解説

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コスモプロの設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 07:19 UTC 版)

三上陸男」の記事における「コスモプロの設立」の解説

1975年昭和50年)、香港ショウ・ブラザーズ招きを受け、エキスプロ退社1972年造形会社ツエニー」を立ち上げた村瀬継蔵とともに香港赴任し、チャイ・ランプロデューサーのもと、『中国超人インフラマン』(ホア・シャン監督)、『蛇王子』(ロー・チェン監督)、『透明人間』などの特撮美術担当その後同じくエキスプロ退社した藤崎幸雄らとともに造形会社「コスモプロダクション」を設立テレビ作品では、東映特撮ドラマ『宇宙鉄人キョーダイン』毎日放送)の特撮美術担当1976年昭和51年)、ショウ・ブラザーズ初の怪獣映画『北京原人の逆襲』(ホー・メンホア監督)で、「コスモプロ」名義美術参加1978年昭和53年)、東映京都特撮映画『宇宙からのメッセージ』深作欣二監督)で美術監督、またコスモプロで『宇宙からのメッセージ・銀河大戦』(NET)の美術担当1979年昭和54年)、東映の『新・仮面ライダー』(毎日放送)でコスモプロに迎えた高橋章組み4年ぶりに復活した仮面ライダー美術全般手掛ける1980年昭和55年)、『仮面ライダースーパー1』毎日放送)を担当同年造形会社超え、コスモプロで『Xボンバー』(フジテレビ系)を自社制作マリオネット形式本格的特撮スペースオペラ総監督を務め美術造形から、マットペイント作画ドラマ・特撮演出任じている。高橋組んだ精巧なミニチュア特撮キャラクター造形は、英国海外でも高い評価受けている。 以後テレビドラマ映画CMなど活躍1989年平成元年)、丹波企画 / 松竹富士の『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』(丹波哲郎監督)で美術監督務める。 2000年平成12年)、コスモプロを解散以降、主に上海拠点インテリアデザイナー油絵画家として活躍していた。

※この「コスモプロの設立」の解説は、「三上陸男」の解説の一部です。
「コスモプロの設立」を含む「三上陸男」の記事については、「三上陸男」の概要を参照ください。

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