焼夷爆弾
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「大日本帝国海軍航空爆弾一覧」の記事における「焼夷爆弾」の解説
三号爆弾および六号爆弾は、飛行場攻撃用の焼夷弾子を多数放出する爆弾である。第一次大戦後、日本海軍はイギリスから焼夷弾を購入し整備の参考とした。昭和10年頃から陸上攻撃用として開発研究が進められた。昭和7年の上海事変による戦訓ではコンクリート建造物に対する焼夷効果を要求され、その後には飛行場攻撃という必要性も追求された。こうした、焼夷弾による飛行場攻撃の研究過程でクラスター爆弾も考案されるに至った。焼夷剤には黄燐、テルミット、エレクトロン、チオコールテルミットが使用された。テルミットは小粒状の酸化鉄とアルミニウム粉末を3対1で混合し、水ガラスで固化した。アルミ粉末は火薬により点火、酸化鉄は酸素を供給する。燃焼温度は2,000度に達した。エレクトロンはマグネシウム95%、アルミニウム、亜鉛を混合した合金で、焼夷弾の弾体に用いられる。チオコールテルミットのチオコールとは多硫化系人造ゴムの商標である。 制式名称重量説明九九式三番三号爆弾33.72kg 飛行場制圧用であるが臨時に空対空爆撃用に転用された。陸用爆弾尾部をねじれ尾翼式に改良、投下すると弾体に回転を与えて安全装置を解除する。また遠心力で炸裂時の弾子放出を補助した。全長693mm、直径147mm。炸薬として下瀬火薬または九八式爆薬を1.513kg使用する。焼夷剤として黄燐5kgを使用し、弾子144個が150m/sで放出された。有効範囲は円錐状に100度である。アメリカ軍の調査では、生産数は1943年に500発、1944年に25,000発、1945年に50,000発。 三式六番三号爆弾一型56.6kg 昭和18年4月の段階で研究中であり、昭和19年6月実験終了した。同年10月から部隊配備された。炸薬に九八式爆薬6.17kgを使用。炸裂すると弾子270個が300m/sに加速され、90度の円錐状に散開する。焼夷剤として黄燐5kgを使用。高高度戦闘用には使用が難しかった。高空ではねじれ尾翼にかかる圧力が少なく、弾体の回転数が低空と異なり、信管の作動時間に狂いが生じた。昭和20年に改良が施された。 二式二五番三号爆弾一型 ねじれ尾翼式。二式二五番三号爆弾焼夷弾子800個を内蔵。1943年(昭和18年)1月に生産を開始した報告が存在し、同年4月には部隊に配備されたと記載される。二式二五番三号爆弾一型改一 - ねじれ尾翼式。一型の組立時の安全性を向上させた。全重246。0kg。10cm長の鋼管内にチオコールテルミットを充填した弾子を780から800個内蔵した。炸裂時の有効直径300m。燃焼時間は20秒。 二式二五番三号爆弾二型251.8kg ねじれ尾翼式。昭和19年6月実験完了。黄燐56kgを主剤に使用した。炸薬に九八式爆薬8.53kgを使用。弾子1086個を60度の円錐状範囲に射出した。 三式二五番三号爆弾 ねじれ尾翼式。全重246.0kg。チオコールテルミット弾子780個を内蔵。炸裂すると300mの円内に300m/sで散開し、20秒間燃焼した。 九八式七番六号爆弾一型71.9kg。 コンクリート建造物焼夷用。エレクトロン(焼夷剤)17.8kgの子弾4発を内蔵。200mmのコンクリートを貫通後、内部炸薬を用いて子弾を射出し、発火させる。試験では4,000mから投下、400mmコンクリートを貫通し引火したが、射出には失敗した。 九八式七番六号爆弾二型66.2kg 昭和14年以前に計画され、昭和16年には完成採用されたと推測される。弾体直径240mm。テルミットを中央に配置、周囲に固形油9.78kgを充填した。投下後、瞬発信管が作動すると放出薬が起爆する。この起爆によって、弾体に設けられた孔から2m四方へと火のついた固形油が吹き出した。 零式六番六号爆弾 固形油の代わりに黄燐を使用しガラス瓶多数の中に封入した。昭和16年12月の試験では着火性能はあるが黄燐の保存が難しいことと大量生産向きでないことが指摘された。 一式七番六号爆弾三型改一67.1kg 人造ゴムとテルミットを混合したチオコールテルミットを焼夷剤に用いる。弾子は一式七番六号爆弾三型改一焼夷片と呼ばれ、これを180個内蔵した。弾子の散開範囲は円状に80mである。改二は全重71.5kg、弾子182個内蔵。改良点は不明。
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