清兮寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/24 07:41 UTC 版)
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清兮寺 | |
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所在地 | 山梨県南巨摩郡身延町身延西谷3573[1] |
山号 | 自厚山 |
宗派 | 日蓮宗 |
清兮寺(せいけいじ)は、山梨県南巨摩郡身延町身延西谷にある日蓮宗の寺院。山号は自厚山。旧本山は身延山久遠寺、通師・堀之内法縁。境内の枝垂桜で知られる。由緒寺院堀ノ内妙法寺の管理。
歴史
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明治18年(1885年)官有地であった旧樋沢坊(慶応元年(1865年)に焼失し法雲坊に合併した)の跡地の払い下げを受けて日鑑(身延山久遠寺74世)の隠居所として起工され、翌明治19年(1886年)に完成したが、日鑑はすでに遷化していたため1度も居住できなかった。
明治32年(1899年)酒井文子(旧姫路城主で伯爵酒井忠顕の室、顕寿院長遠妙玄日唱大姉、明治41年(1908年)没)によって本堂が建立された。
脚注
参考文献
- 『身延町誌』身延町(1970年)
- 日蓮宗寺院大鑑編集委員会『宗祖第七百遠忌記念出版 日蓮宗寺院大鑑』大本山池上本門寺 (1981年)
- 『清兮寺宝物目録』自厚山清兮寺(2014年)
- 『身延の栞』久遠寺(1906年)
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