清内雄行
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清内 雄行(きようち の おゆき、大同3年(808年) - 元慶6年6月10日(882年6月29日))は、平安時代前期の貴族。氏姓は凡河内忌寸のち清内宿禰。官位は従五位下・丹波介。
経歴
河内国志紀郡出身の渡来系官人。皇太子時代の文徳天皇に孝経を侍講したことから[1]、儒者であったと思われる。
音博士を経て、清和朝の貞観6年(864年)外従五位下に昇叙される。貞観8年(866年)大学頭・潔世王とともに高山祭のために吉野に派遣される[2]。貞観11年(869年)内位の従五位下に叙せられる。のち、陽成朝にて丹波介を務めるが、元慶6年(882年)6月10日卒去。享年73。最終官位は従五位下行丹波介。
官歴
『日本三代実録』による。
- 時期不詳:正六位上。音博士
- 貞観6年(864年) 正月7日:外従五位下
- 貞観11年(869年) 正月7日:従五位下(内位)
- 時期不詳:丹波介
- 元慶6年(882年) 6月10日:卒去(従五位下行丹波介)
脚注
参考文献
固有名詞の分類
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