治世末の権威の低下と善良議会とは? わかりやすく解説

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治世末の権威の低下と善良議会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 15:22 UTC 版)

エドワード3世 (イングランド王)」の記事における「治世末の権威の低下と善良議会」の解説

1360年代国内においてエドワード3世対す圧力はほとんど存在しない等しかったが、エドワード治世最後10年間の1367年から1377年にかけては羊毛取引衰退しそれに伴いエドワード権威低下した1369年からフランスとの戦争再開したが、前述のとおりイングランド軍の苦戦続き1370年代には重税定期的に課せられた。1371年から1381年にかけて徴税された額は40ポンドに及ぶが、これは中世後期において最も重い課税額に限りなく近い物である。そのため国民厭戦気分高まった。 またエドワード1369年フィリッパ王妃崩御した後には肉体的精神的衰えが目立つようになり、愛妾アリス・ペラーズ(英語版)を溺愛し、彼女の求める物は何でも与えたばかりか政治介入することも許した政治戦争他人任せになり始め、四男のランカスター公ジョン・オブ・ゴーント権勢を振るうようになった1375年にはフランスとの間に2年休戦協定締結されたが、休戦明けにはカスティーリャ参戦情勢の一層の悪化予想されていたため、政府勝利見通しをもって議会に臨むことができなかった。 こうした状況のため、治世末の議会政府敵対姿勢を取ることが多くなった。1371年議会ではエドワード3世宰相たる大法官ウィンチェスター司教ウィカムのウィリアムに対して貴族たちが強く反発し彼の解任課税承認条件にされたため、エドワード3世やむなく彼を大法官から解任している。 特に反抗激しかったのが1376年4月召集され議会いわゆる善良議会である。善良議会中世期議会中でも最も高名な議会一つであるが、それは州・都市代表の平民議員(庶民院議員)がかつてないほど活発に王権対抗したためである。平民議員反抗根底には3種の不満があったと見られる第一に戦局悪化状態での休戦対する不満、第二宮廷腐敗への怒り第三商業上の不満である。第三については輸出羊毛指定市商人組合属すイングランド商人アウトサイダーたち(特にイタリア商人)の対立背景にあった15世紀以降はこうした組合政府人為的な市場制限によって市場独占機会獲得し組合その利益の中から政府財政的便宜を図るという共生関係ができあがるが、組合発足してまだ十年前後のこの時期にはこの関係が安定的にできておらず、むしろイタリア商人宮廷結託していたからである。 善良議会中世議会としては異例長期にわたり、7月までの2カ月半にわたって続いたその間善良議会取り決められたことは、3年にわたる関税徴収承認、アリス・ペラーズの宮廷からの追放諸侯助言により選ばれた9名の聖俗諸侯から成る評議会国王補佐付与すること、第4代ラティマー男爵英語版)ウィリアム・ラティマー(英語版)や第3ネヴィル男爵英語版ジョン・ネヴィル英語版)ら国王側近弾劾前者逮捕後者解任)などである。特に議会における政府高官弾劾という新たな刑事裁判手続き庶民院国王政府大臣役人告発し貴族院裁判所構成して判決を下す)がこの議会初め導入されたことは特筆される。これが前例となって17世紀から18世紀にかけての議会政治確立期政府高官弾劾多用されることになる。 善良議会平民議員たちが勝利を収めることができたのは彼らが団結して王権抵抗したからである。また平民議員たちはピーター・ド・ラ・メアー(英語版)を代表者立てて行動したが、メアー第3マーチ伯エドマンド・モーティマー執事であるため、マーチ伯やその同僚たち保護受けられたことも大きかったメアー後世最初庶民院議長英語版)と見なされる人物となった善良議会後、国王監視する評議会発足したものの、わずか3カ月しか続かずエドワード反転攻勢許した1377年1月召集され議会は、善良議会弾劾された者たちに恩赦与えたうえ、庶民院議長メアー一定期間収監した。さらにエドワード資金確保のために最初の人頭税の導入にまで同意した。この議会エドワードによる反動許した議会として不良議会英語版)と呼ばれている。

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