汪兆銘工作とは? わかりやすく解説

汪兆銘工作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 15:53 UTC 版)

桐工作」の記事における「汪兆銘工作」の解説

「汪兆銘工作」も参照 1937年民国26年昭和12年7月7日盧溝橋事件きっかけに、日中戦争支那事変)が始まった徹底抗戦を貫く蔣介石対し汪兆銘は「抗戦」による民衆被害中国国力低迷心を痛め、「反共親日」の立場示し和平グループ中心的存在となった日本陸軍今井武夫影佐禎昭進めた汪兆銘工作は、しかし、汪兆銘地盤とみられていた東南諸軍から誰ひとりとして呼応する者がなかった。そのため、結局日本軍占領地下での政権汪兆銘政権樹立という方針転換した。これは、日本和平条約を結ぶことによって、中国・日本間の和平モデルケースをつくり、重慶政府揺さぶりをかけ、最終的に重慶政府が「和平」に転向することを期待するのだった汪兆銘影佐禎昭対し新政府設置して自分政権執着しない述べており、蔣介石百歩譲って基本的に中国二つ割りたくないこと、戦火によって民衆犠牲できるだけ避けたいことを訴えている。一方、汪らは自身政権日本傀儡となるのではないかという強い危惧抱いたが、同時に日本にとっては、期待する全面和平への障害となるか、促進になるのか疑問でもあった。また汪兆銘工作は、対日和平派であった高宗武陶希聖和平条件苛酷であることを批判し、そこから離脱してしまった。

※この「汪兆銘工作」の解説は、「桐工作」の解説の一部です。
「汪兆銘工作」を含む「桐工作」の記事については、「桐工作」の概要を参照ください。


汪兆銘工作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 23:31 UTC 版)

田尻愛義」の記事における「汪兆銘工作」の解説

1933年には東京戻りアジア第一課へ。1934年には二課長になったその後1935年から1937年にかけて東京勤務中国勤務繰り返し1937年7月盧溝橋事件上海迎えることになる。1938年1月近衛声明蔣介石対手とせず」には、回想録に「唖然とせざるを得なかった」と強い批判書き残している。 1938年7月外務書記官、調査部第五課長として東京帰任。ここで影佐禎昭大佐より、「汪精衛汪兆銘)を重慶政府寝返りさせて、抗日蔣介石陣営から引き抜く」という、いわゆる「汪兆銘工作」の企画知らされる。さらに中国側高宗武より西義顕に対してお互い気心知れている」田尻香港総領事任命してほしい、との要望があり、報を受けた有田外相はこれを即諾田尻1938年11月香港総領事就任した。 ただし田尻汪兆銘に対しては強い批判持っており、汪兆銘政府成立時には、影佐大に対して、「汪が重慶脱出前に占領地傀儡政府嫌いながら今になって占領地政府統合してその長になろうというのは……私に言わせれば、彼に自分一身利害があるだけで、もう中国、中国人のための平和幸福の目標捨てている。……しかも自分をも裏切ばかりか占領地中国人欺くことにもなる」と痛烈な批判行っている。 田尻有田八郎外相に対して汪兆銘政府樹立再考進言したが、既に軍部方針定まっていた。結局1940年3月汪兆銘南京国民政府成立することとなった1940年1月東亜第一課勤務。この時田尻は、汪兆銘との内約を「汪政府正式に交渉して同意とりつけ、両政府間、したがって日中両国間の基本条約にしたい」との興亜院要求受けた田尻は「すでに世界醜悪暴露した内約」「天下物笑いになる」と強く反対し、回想録の中では興亜院に対して狂人ぞろい」とまでの痛烈な批判行っている。しかし結局は興亜院、軍の意向受け入れざるを得ず田尻は、この時期ほど「無意味無目的な、そして良心反す痛々しいものはなかった」と回想している。

※この「汪兆銘工作」の解説は、「田尻愛義」の解説の一部です。
「汪兆銘工作」を含む「田尻愛義」の記事については、「田尻愛義」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「汪兆銘工作」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


このページでは「ウィキペディア小見出し辞書」から汪兆銘工作を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から汪兆銘工作を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から汪兆銘工作を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「汪兆銘工作」の関連用語

汪兆銘工作のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



汪兆銘工作のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの桐工作 (改訂履歴)、田尻愛義 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS