汪兆銘政権参加と晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/18 07:03 UTC 版)
汪兆銘(汪精衛)が南京国民政府を樹立すると、湯良礼もこれに参加する。1940年(民国29年)8月、国際宣伝局局長に就任し、南京国民政府崩壊まで一貫してこの地位にあった。また、翌年5月から10月まで、外交部政務次長もつとめている。 日本敗北、汪兆銘政権崩壊後に、湯良礼は漢奸として逮捕され、上海市の提藍橋監獄に収監された。しかし、後に何らかの事情で釈放され、1949年に故郷のインドネシアへ帰った。その後はジャカルタに居住して、The Indonesian Review of International Affairs誌の編集に参加し、インドネシアにおける中国人の二重国籍問題に関する論文(1970年7月発行の第1号掲載)も寄稿している。なお1969年12月17日には、日本の中国政治学者・山田辰雄の訪問・取材を受けた。 1970年、死去。享年70。
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