汪兆銘海軍の要港部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 07:47 UTC 版)
日本の援助で整備された汪兆銘政権下の中国海軍でも、同様に要港部が設置されている。南京要港部及び1940年12月に開隊した威海衛要港部(当初は「基地部」と呼称)がその例である。 威海衛要港部は、青島や芝罘に基地区隊を分遣し、砲艦「海祥」などが所属していた。1941年12月時点では約430名の人員を擁した。司令官は少将職である。また、日本海軍派遣の軍事顧問団として、中国威海衛海軍要港部指導部が第3遣支艦隊の下に編成されている。首席指導官は1941年6月に大杉守一大佐、1942年4月に森田一男大佐など逐次交代している。
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