桐工作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 13:16 UTC 版)
桐工作(きりこうさく)または宋子良工作(そうしりょうこうさく)とは、日中戦争打開のために、極秘で1939年(昭和14年)12月から始まった和平工作である。大日本帝国陸軍の今井武夫大佐(当時)が中心となって進めた。日本(大日本帝国)は、1940年(昭和15年)9月にこの工作を中止した。
注釈
- ^ 日本陸軍は日中戦争の戦局打開のため、蔣介石のライバルと目される要人たちの懐柔を図り、大本営直轄の土肥原機関の指揮下に、北京では大迫通貞大佐が「竹工作」を、福建省に対しては台湾を拠点に山本募大佐が「菊工作」を、重慶に対しては参謀本部の影佐禎昭大佐が「梅工作」を、上海では和知鷹二が「蘭工作」をそれぞれ行った[2]
- ^ 1938年(昭和13年)11月、上海の重光堂で開かれた、汪派の高宗武・梅思平と陸軍参謀本部の今井武夫・影佐禎昭とのあいだで開かれた会談(重光堂会談)では、汪兆銘が重慶を脱出したら、雲南省長竜雲率いる雲南軍がまず呼応することになっており、竜雲自身もまた汪の和平工作に大きな期待をかけていたが、結果として竜雲は汪一行の重慶脱出に便宜をあたえたにとどまった。結局、昆明の竜雲のみならず、四川の潘文華、第四戦区(広東・広西)の司令官張発奎など、汪兆銘が期待を寄せた軍事実力者たちは誰ひとりとして汪の呼びかけに応じなかった。
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