母親と息子の場合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 13:56 UTC 版)
久保摂二が報告する髄膜炎の後遺障害がある息子がその母親と性的行為を行った事例では、母親の死後は息子は獣姦を行ったとされる。高橋睦郎監修の『禁じられた性 近親相姦・100人の証言』では、心臓病の息子と交わることは間違っていないと主張する母親の証言が載せられている。 母親と息子の近親姦に関しても様々な研究が行われているが、少なからず発生しているにもかかわらず、アメリカ合衆国においては、母と息子の近親姦に対する嫌悪が強く、議論が進みにくい状況がある。アメリカ合衆国では母息子間の近親姦は近親姦の中でも最大の禁忌であり、理論上の可能性として母息子間の近親姦を取り上げただけで白い目で見られたとリチャード・ガートナー (1999) は述べている。 母親からの性的虐待を受けた男児の心理状態として指摘されていることは「自分は特別な存在であり、特権を与えられるに値する人間なのである」という感覚を持つ一方、実のところその感覚はかりそめでいつ壊れても不思議はないものという感覚があり、それに対して過剰に警戒しながら母親の恋人としてふさわしくあろうとするために、パラノイアに近い広範な不安に苛まれてしまっているということである。 この不安は自分自身が母親に嘲られる可能性を予期し、先々それに応じた反応を取ることで心理的な被害を食い止めようとするために起こる反応である、という理論がArnold Rothstein (1979) により述べられた。この理論はグレン・ギャバード and Stuart W. Twemlow (1994) によってさらに発展され、息子は母親によって母親の自己愛を満たすことが自分の役割だと思い込まされるが、そのために間違ってでも母親を不快にさせた場合、それは自分の存在そのものを否定されることに等しくなり、それゆえに息子はまるで綱渡りをしているような状況に陥るのだという。一方、自分が特別だという感情は行為そのものへの武勇伝的感覚などに由来するとみられ、こうした感情は自分が非常に誘惑的で、多くの女を魅惑する力を持っているのだと思い込む力へとつながるが、虐待時の母親の行動は母親の都合で歪められた認識下で起こっていることが多いとリチャード・ガートナー (1999) は述べている。Austin Silber (1979) は、現実を否認してでも自分が母親と主体的に性的関係を結んだと空想で思い込んでしまっているとみられる息子の事例を報告している。 Loretta M. McCarty (1986) は、娘を虐待する母親は娘を自らの拡張のように扱う傾向があるのに対し、息子に近親姦を行う母親の中には父親不在でまるで息子を同世代の仲間であるかのように扱う場合も存在したという報告をしている。 Brooke Hopkins (1993) は、6歳だった頃の話として、自らが夜中にベッドの中で母親との接触行為で激しい性的興奮を覚え、それが良くないことだと自分は感じていたにもかかわらず、自分は自らの欲望を抑えることができず母親は自分はあくまで受動的な立場であるかのような態度をとっていたため、結局父親が無理矢理やめさせるまで母親との性的な行為が続いてしまったことについて触れ、母親が誘惑したかどうかにかかわらず母親に自分が利用されたという意味でそのような行為はたとえ法律上は犯罪扱いはされなくとも不適切な行為であったと主張している。 リチャード・ベレンゼン (1993) は、自らが母親に近親姦を受けた際に、その行為で心理的な憎悪が発生したにもかかわらず、同じことが原因で身体的に快楽を得てしまうために、相反する感情が同時に発生するというパラドックスが発生した体験について触れている。 また、リチャード・ガートナー (1999) は、母親に肛門検査をされた男性がクライアントにいたのだが、こういった行為が性的あるいは虐待的なことと認識されることは稀だとも指摘する。宇野津光緒は、『実録 レイプ裁判 法廷で暴かれた犯行現場』(2013年)において、継母に浣腸をされていた義理の息子が成長後に年上の妻にアナル舐めを要求したものの拒否され、OLにアナル舐めを強要したところその女性は性被害について警察に相談したという話を述べている。 Robert J. Kelly et al. (2002) は、様々な関係の人物からの性的虐待を報告した67人の男性を扱っているが、うち17人が母親からのものだったと報告しており、またそのうちの約半分は母息子近親姦に対して当初は肯定的感情あるいは混合した感情を示していたにもかかわらず、母親との近親姦を報告した男性は他の性的虐待を報告した男性よりも深刻なトラウマを抱えやすい傾向があった事を報告している。 外山滋比古は、『家庭という学校』(2016年)において、母親が息子と手を繋ごうとしたところ、息子からエッチだといわれたという話について、父親が娘とそのようなことをするのを自重することはあるが、昔は母親がそう言われることはなかったと時代の変化を語った上で、昔は子供が多かったので母親が一人の子供に入れ込むというのは起こりにくかったと指摘している。
※この「母親と息子の場合」の解説は、「近親相姦」の解説の一部です。
「母親と息子の場合」を含む「近親相姦」の記事については、「近親相姦」の概要を参照ください。
- 母親と息子の場合のページへのリンク