歴代郡代
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伊奈忠篤(元禄5年(1692年) - 元禄10年(1697年)) - 関東郡代との兼任。位名田を廃止し、元禄7年から翌年にかけて検地を実施して年貢を減免した。 伊奈忠順(元禄10年(1697年) - 正徳2年(1712年)) - 山見役を設置。 伊奈忠逵(正徳2年(1712年) - 正徳5年(1715年)) - 鉱山調査と古城調査を実施。 森山実道(正徳5年(1715年) - 享保6年(1721年)) - 以降は専任となる。 亀田三脩(享保6年(1721年) - 享保9年(1724年)) - 植林を実施。古城調査を行った。 長谷川忠国(享保9年(1724年) - 享保13年(1728年)) - 山林調査、古城調査を実施。年貢の賦課に定免法を採用した。 長谷川忠崇(享保13年(1728年) - 延享2年(1745年))- 元文3年(1738年)以降在勤となる。以下同じ。地誌である飛州志の編纂を行う。長谷川忠国の子。 幸田高成(延享2年(1745年) - 寛延3年(1750年)) - 植林を実施。救荒食物として信州より馬鈴薯を導入する。松泰寺に葬られる。 柴村盛喬(寛延3年(1750年) - 宝暦6年(1756年)) 上倉信門(宝暦6年(1756年) - 宝暦11年(1761年)) - 温泉役を設置。 布施胤将(宝暦11年(1761年) - 明和2年(1765年)) 大原紹正(明和2年(1765年) - 安永8年(1779年)) - 以降越前の天領を所管する。木材の伐採を制限し、安永検地を実施して1万1500石の増石高を計上、年貢を25%強引き上げて大原騒動を惹起した。安永6年(1777年)、代官から郡代に昇進。素玄寺に葬られる。 大原正純(天明元年(1781年) - 寛政元年(1789年)) - 天明の飢饉や天明4年(1784年)に2340軒が焼ける高山大火が続いて財政難に陥ったこともあり下付された御救金を横領、百姓からの借上金を着服する。さらに百姓から収奪しようとしたため騒動に発展。断罪されて八丈島に遠島となり大原騒動が終結。 飯塚政長(寛政元年(1789年) - 寛政12年(1800年))- 植林の実施、米売株の廃止を行い民心掌握に勤めた。 小出照方(寛政12年(1800年) - 享和3年(1803年)) - 商品として縄の生産を奨励した。 田口喜古(文化元年(1804年) - 文化8年(1811年)) - 美濃国加茂郡、恵那郡、郡上郡の一部と越前国今立郡、丹生郡、南条郡の一部、加賀国白山麓を所管。城山公園に桜を植樹した。大雄寺に埋葬される。 榊原長義(文化8年(1811年) - 文化12年(1815年)) - 在任中の文化11年(1814年)神岡船津で大火が起き226軒が焼亡する。在任中に死去し、不遠寺に葬られる。 芝正盛(文化12年(1815年) - 文政12年(1829年)) 大井永昌(文政12年(1829年) - 天保10年(1839年)) - 天保3年(1832年)高山で2度にわたり大火が起き、類焼者に10年返済で金3分を貸し与えた。天保の飢饉においては高山の備蓄米を売却、私財と合わせて越前の窮乏に充てた。 豊田友直(天保10年(1839年) - 弘化2年(1845年)) - 天保11年(1840年)に備荒のための郷倉を設置。渋草焼を創始。 小野高福(弘化2年(1845年) - 嘉永5年(1852年)) - 山岡鉄舟の父。在任中に死去して宗猷寺に葬られる。 福王忠篤(嘉永5年(1852年) - 安政5年(1858年)) 増田頼興(安政5年(1858年) - 元治元年(1864年)) - 安政5年に発生した飛越地震の復興に当たる。御林山銅鉛山取締を設置。 高柳元暱(元治元年(1864年) - 慶応2年(1866年)) 新見正功(慶応2年(1866年) - 慶応4年(1868年)) - 幕府崩壊に当たって離任。俸禄米を高山と古川の町に与えたという。
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歴代郡代
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大久保長安 岡田善同 慶長18年-寛永8年 岡田善政 寛永8年-万治3年 名取長知 万治3年-寛文7年 陣屋を笠松に移転 杉田長昌 寛文8年-天和3年 甲斐庄正之 天和3年-貞享2年 岩手信吉 貞享2年-元禄12年 辻守参 元禄12年-享保3年 以降、滝川貞寧を除き郡代となる。 辻守雄 享保3年-享保20年 在職中病没。笠松蓮国寺に葬られる。 井沢為永 享保20年-元文2年 滝川貞寧 元文2年-延享3年 青木安清 延享3年-宝暦8年 宝暦治水で二ノ手工区を担当。郡上一揆で処罰。 千種直豊 宝暦8年-明和3年 千種惟忠 明和3年-天明6年 千種鉄十郎 天明6年-天明8年 失政により遠島となる。 辻富守 天明8年-寛政3年 鈴木正勝 寛政3年-寛政11年 辻守貞 寛政11年-文化2年 辻富守孫。在職中に没。笠松法伝寺に葬られる。 三河口輝昌 文化2年-文化7年 滝川惟一 文化7年-文化11年 松下堅徳 文化11年-文政11年 野田斧吉 文政11年-天保6年 万寿騒動により召還。江戸への途上で急死したが、自害の可能性が指摘されている。 柴田政方 天保6年-嘉永4年 嘉永元年、飛騨郡代が管轄していた加茂郡の一部が移管される。 岩田信忍 嘉永4年-慶応3年 文久3年、管轄に飛騨郡代が管轄していた下川辺陣屋管内が加わる。 屋代忠良 慶応3年-慶応4年
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