歴代郡代とは? わかりやすく解説

歴代郡代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 17:30 UTC 版)

飛騨郡代」の記事における「歴代郡代」の解説

伊奈忠篤元禄5年1692年) - 元禄10年1697年)) - 関東郡代との兼任。位名田廃止し元禄7年から翌年にかけて検地実施して年貢減免した伊奈忠順元禄10年1697年) - 正徳2年1712年)) - 山見役を設置伊奈忠逵正徳2年1712年) - 正徳5年1715年)) - 鉱山調査古城調査実施森山実道正徳5年1715年) - 享保6年1721年)) - 以降専任となる。 亀田三脩(享保6年1721年) - 享保9年1724年)) - 植林実施古城調査行った長谷川忠国享保9年1724年) - 享保13年1728年)) - 山林調査古城調査実施年貢賦課定免法採用した長谷川忠崇享保13年1728年) - 延享2年1745年))- 元文3年1738年以降在勤となる。以下同じ。地誌である飛州志の編纂を行う。長谷川忠国の子幸田高成(延享2年1745年) - 寛延3年1750年)) - 植林実施救荒食物として信州より馬鈴薯導入する泰寺に葬られる柴村盛喬(寛延3年1750年) - 宝暦6年1756年)) 上倉信門(宝暦6年1756年) - 宝暦11年1761年)) - 温泉役を設置布施胤将宝暦11年1761年) - 明和2年1765年)) 大原紹正(明和2年1765年) - 安永8年1779年)) - 以降越前天領所管する木材伐採制限し安永検地実施して1万1500石の増石高を計上年貢25%引き上げて大原騒動惹起した安永6年1777年)、代官から郡代昇進素玄寺葬られる大原正純(天明元年1781年) - 寛政元年1789年)) - 天明の飢饉天明4年1784年)に2340軒が焼け高山大火続いて財政難陥ったこともあり下付され御救金を横領百姓からの借上金を着服する。さらに百姓から収奪ようとしたため騒動発展断罪され八丈島遠島となり大原騒動終結飯塚政長(寛政元年1789年) - 寛政12年1800年))- 植林実施、米売廃止行い民心掌握勤めた小出照方(寛政12年1800年) - 享和3年1803年)) - 商品として縄の生産奨励した田口喜古(文化元年1804年) - 文化8年1811年)) - 美濃国加茂郡恵那郡郡上郡一部越前国今立郡丹生郡南条郡一部加賀国白山麓を所管城山公園植樹した。大雄寺埋葬される榊原長義文化8年1811年) - 文化12年1815年)) - 在任中の文化11年1814年神岡船津大火起き226軒が焼亡する。在任中に死去し不遠寺葬られる芝正盛(文化12年1815年) - 文政12年1829年)) 大井永昌文政12年1829年) - 天保10年1839年)) - 天保3年1832年高山2度にわたり大火起き類焼者に10年返済で金3分を貸し与えた天保の飢饉においては高山備蓄米売却私財合わせて越前窮乏充てた。 豊田友直天保10年1839年) - 弘化2年1845年)) - 天保11年1840年)に備荒のための郷倉設置渋草焼創始小野高福弘化2年1845年) - 嘉永5年1852年)) - 山岡鉄舟の父。在任中に死去して宗猷寺葬られる福王忠篤(嘉永5年1852年) - 安政5年1858年)) 増田頼興(安政5年1858年) - 元治元年1864年)) - 安政5年発生した飛越地震復興に当たる。御林山銅鉛山取締設置高柳元暱(元治元年1864年) - 慶応2年1866年)) 新見正功(慶応2年1866年) - 慶応4年1868年)) - 幕府崩壊当たって離任俸禄米高山古川の町に与えたという。

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歴代郡代

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美濃郡代」の記事における「歴代郡代」の解説

大久保長安 岡田善同 慶長18年-寛永8年 岡田善政 寛永8年-万治3年 名取長知 万治3年-寛文7年 陣屋笠松移転 杉田昌 寛8年-天和3年 甲斐庄正之 天和3年-貞享2年 岩手信吉 貞享2年-元禄12年 辻守参 元禄12年-享保3年 以降滝川貞寧を除き郡代となる。 辻守雄 享保3年-享保20年 在職中病没笠松蓮国寺葬られる井沢為永 享保20年-元文2年 滝川貞寧 元文2年-延享3年 青木安清 延享3年-宝暦8年 宝暦治水で二ノ手工区を担当郡上一揆処罰千種直豊 宝暦8年-明和3年 千種忠 明3年-天明6年 千種鉄十郎 天明6年-天明8年 失政により遠島となる。 辻富守 天8年-寛政3年 鈴木正勝 寛政3年-寛政11年 辻守貞 寛政11年-文化2年 辻富守孫。在職中に没。笠松法伝寺葬られる三河口輝昌 文化2年-文化7年 滝川一 文7年-文化11年 松下堅徳 文化11年-文政11年 野田斧吉 文政11年-天保6年 万寿騒動により召還江戸へ途上急死したが、自害可能性指摘されている。 柴田方 天6年-嘉永4年 嘉永元年飛騨郡代管轄していた加茂郡一部移管される。 岩田信嘉永4年-慶応3年 文久3年管轄飛騨郡代管轄していた下川辺陣屋管内が加わる。 屋代忠良 慶応3年-慶応4年

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