東急在籍期の運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:19 UTC 版)
「東急3700系電車」の記事における「東急在籍期の運用」の解説
本系列は東横線へ集中投入され、主にデハ3700形2両とクハ3750形1両からなる3両編成を組成した。もっとも、デハ3700形15両に対してクハ3750形は5両のみの存在であったことから、余剰となるデハ3700形5両については3600系の制御車であるクハ3770形など他形式と常時混用された。 1952年(昭和27年)に実施された架線電圧の直流1,500 Vへの昇圧に際しては、制御装置の小改造など昇圧対応改造が実施され、昇圧に伴ってTDK-528/9-HM主電動機の定格出力は112.5 kWに向上した。また同年には桜木町事故を契機としてデハ3700形・クハ3750形の連結面側妻面に貫通路が新設され、また3両編成を組成した際に編成中間に位置するデハ3700形については運転台側妻面にも貫通路および貫通扉が新設された。 終戦後の混乱期に新製された本系列は、戦前製の従来車各形式と比較して各部に欠陥を有し、1954年(昭和29年)には一部の台車の釣り合い梁部に亀裂が発生したため全数を対象に修繕工事が施工され、同時にまた、車体各部の仕上げが粗雑であったこと、さらには本系列の製造に際して使用された鋼材が戦災にて焼損した粗悪なものであったため構体そのものの劣化進行が非常に早かったことから、1961年(昭和36年)よりデハ3450形など戦前製の従来車各形式に先行して車体の更新修繕工事が施工された。 更新修繕工事に際しては、全ての窓の上下寸法が幕板方向へ拡大され、デハ3500形・デハ3650形と同一の950 mmとなったほか、窓枠のアルミサッシ化、内装のアルミデコラ化などが施工された。同時にデハ3700形のうち前面非貫通仕様であった車両を対象に貫通路および貫通扉を新設して全車仕様を統一し、またクハ3750形については前面非貫通仕様のまま存置されたものの、前面腰板下部のアンチクライマーが撤去された。その他、デハ3700形の制御装置がCS5から日立製作所製のMMC-H-10G電動カム軸式自動加速制御器に換装され、また並列弱め界磁制御に用いる界磁接触器については本系列が当時5000系(初代)など新型車両の増備に伴って東横線における急行運用より離脱していたことを鑑み撤去された。 その後は一部車両の客用扉を小窓タイプのものに交換したほか、在籍最終期にはデハ3709 - デハ3715およびクハ3755を対象に水切り・アンチクライマーの撤去が施工されるなど小変化が見られた。 東急時代の運用では、同じくTDK-528/9-HM主電動機を搭載するデハ3800形はもとより、主電動機出力をはじめ、特性にかなり差の大きいデハ3450形やデハ3600形等との混結が常態化した。これは東横線の主力車両として運用された1960年代当時、長編成化に伴う慢性的な車両不足から形式の区別なく共通運用がなされたこと、東横線を撤退した1970年代以後も1両単位での検査入場が行われ、その都度デハ3450形の両運転台仕様車を連結するなどしていたことによる。こうした事象は3000系列に属する全形式に共通するが、特にデハ3700形の場合は15両という半端な両数であることもあって、東急在籍最晩年まで異形式との混結編成で運用された。 東急在籍当時の最晩年は目蒲線において運用されたのち、1975年(昭和50年)にデハ3700形3701 - 3708およびクハ3750形3751 - 3754の計12両が、1980年(昭和55年)に残るデハ3700形3709 - 3715およびクハ3750形3755の計8両が、いずれも名古屋鉄道へ譲渡され、1980年(昭和55年)8月25日付のデハ3712・デハ3714・デハ3715の除籍をもって東急3700系は形式消滅した。
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