東大時代と軍隊入隊とは? わかりやすく解説

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東大時代と軍隊入隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:59 UTC 版)

金田一春彦」の記事における「東大時代と軍隊入隊」の解説

1934年旧制浦和高等学校文科甲類卒業東京帝国大学文学部国文学科入学し京助喜ばせた同年4月10日高校生活最後を飾る意図で、埼玉県入間郡吾野から越生まで単身徒歩旅行をおこなう。同月から杉並実家戻り大学に通う。当時東京帝国大学言語学科で助教授務めていた京助と共に家を出て学校に行くことがしばしばあった。藤村作久松潜一講義失望し橋本進吉国語学演習注目したが、講義準備手間がかかりすぎたため、3年時にはこの講義出席することを断念した。父京助によるアイヌ語講義受けた益するところ最も大きかったのは、邦楽学者田辺尚雄講義日本音楽理論と歴史であった田辺影響謡曲習った時は挫折したものの、音楽(特に邦楽)への学問的関心生涯失わなかった。さらに、春と夏だけ植物同好会入り牧野富太郎謦咳接した当初方言学研究志していたものの、方言学論文書いて就職できないとおもい、日本語歴史的研究没頭する1936年4月満州より帰国し東京帝国大学講師就任した服部四郎から直接指導を受けるようになる卒業論文では、平安時代アクセントを示す好個資料である観智院本『類聚名義抄』を題材にして、日本語のアクセント歴史的に研究した1937年東京帝国大学文学部国文学科を卒えて東京帝国大学大学院進み埼玉県東部方言アクセント調査する秋に東京方言学会研究成果発表したところ、東條操教授から高く評価され学界で評価の礎を築いたこのころ田辺慕って東洋音楽学会入会する1938年4月16日大学院に籍を置いたまま応召し甲府歩兵第49連隊入営間もなく龍山歩兵第79連隊移された。学歴使い幹部候補生応募する事をせず、通常の徴兵検査通し入営した為、二等兵として軍隊生活を送る事となった。兵士としては無能であり、新兵対す激しいしごき苦しみ、のちにこの時期を自らの人生で最もつらい半年間だったと回想している。7月マントー反応現在のツベルクリン反応)を見る注射の痕を意図的に掻き毟り軍医結核誤診させて龍山陸軍病院入院する秋に首尾よく除隊となり、半年ぶりに帰京する。このとき、麻布中学校教諭平山輝男九州北陸アクセント研究学会発表していることを知って焦りを持つ。秋に房総半島、冬に伊豆半島下田アクセントそれぞれ調査する1939年4月東京帝国大学大学院再入学3月には単身伊豆大島渡り4月までアクセント調査する続いて静岡県山梨県長野県愛知県近畿地方香川県徳島県愛媛県などを調査する傍ら平家琵琶仏教歌曲題材過去日本語のアクセント1年間研究する。この時の研究が、後年1962年博士論文材料となる。

※この「東大時代と軍隊入隊」の解説は、「金田一春彦」の解説の一部です。
「東大時代と軍隊入隊」を含む「金田一春彦」の記事については、「金田一春彦」の概要を参照ください。

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